2021.08.31地域歴史情報 お役立ち情報

美唄市を通るJR函館本線 ~美唄駅と周辺駅について~

前回「美唄市の炭鉱と鉄道の歴史 ~石炭で栄えた美唄市~」の記事では、美唄市が石炭の町として栄え、それを輸送するための鉄道の歴史についてお伝えしました。
かつて鉄道路線が通っていた駅のいくつかは廃線とともに廃駅となってしまいましたが、長い歴史を持ちながら現在もJR函館本線の停車駅として機能している駅があります。
今回は、美唄市の交通の中心地である美唄駅をはじめ、各駅についてご紹介していきます。

美唄駅の歴史

美唄駅は1891年に北海道炭礦鉄道の駅として開業したのが始まりです。北海道炭礦鉄道は、元々官営幌内鉄道が開業した鉄道路線で、1889年に譲渡されたのち路線の延伸などにより続々と駅が新設されていきました。美唄駅もその過程で建てられています。
当初、駅舎は現在の位置より約250m光珠内寄りにありましたが、相次いで浸水被害が発生したため2年ほどで移転となっています。
1914年に三菱鉱業美唄鉄道線、1931年には南美唄支線が開業したことで、美唄駅には石炭輸送のための蒸気機関車が行き交うようになりました。しかし1970年代には炭鉱の閉山に伴いこれらの路線も廃止され、貨物輸送の取り扱いが終了しました。
1987年の国鉄分割民営化によって北海道旅客鉄道の駅となり、以降美唄駅はJR函館本線のみ運行しています。普通列車に加え、特急列車も1時間に1~2本程度が停車するため、札幌まで最短35分程で行くことができます。

美唄駅周辺の様子

美唄市の中心駅である美唄駅は、駅を中心に大きな市街地が形成されています。
主要施設は西口側に多く点在しており、日本一長い直線道路である国道12号線も西口側にあります。東口側には道央自動車道が通っています。

西口周辺

西口のロータリーには路線バスのりばが集中しています。バスは美唄駅を起点に様々な地域へ走っているため、通勤・通学時間帯には多くの人が集まっています。
駅舎前から西へ伸びる中央通りには銀行や郵便局、小売店、飲食店、ショッピングモール、ドラッグストアやスーパーなどが立ち並び、美唄市役所方面へ続いています。市役所から先は、より一層田園風景が広がっていきます。
JR函館本線と並行する国道12号線が左右に伸びており、道路沿いには飲食店や生活利便施設が多くあります。

東口周辺

駅前はロータリーになっており、目の前にタクシー乗り場と大きい公園、スーパーがありますが、西口と比べると全体的に落ち着いた雰囲気が感じられます。かつての南美唄支線や三菱鉱業美唄線の路盤、転車台跡、貨物ヤード等の広い構内跡が再開発され、新しい道路や住宅街が形成されています。
駅から徒歩10分圏内には北海道で唯一の「北海道せき損センター」があります。
道央自動車道の美唄ICも東口側にあり、ここから札幌、新千歳空港なども1時間弱程度で行くことができます。

美唄市内のJR函館本線停車駅

市内には美唄駅を含め4つの駅があります。美唄駅以外の各駅を札幌方面から順に見ていきましょう。

峰延駅

1891年に北海道炭礦鉄道の駅として開業しました。1984年に無人駅となり、その後北海道旅客鉄道の駅となってからもそのままです。
駅周辺は美唄市の郊外に位置しており、札幌方面の隣駅は岩見沢駅になります。開拓当時は市来知村(現在の三笠市の一部)に属しており、すぐそばに三笠市との境界もあります。

光珠内駅

元は1920年に函館本線の信号所として開設され、1952年に駅に昇格しました。北海道旅客鉄道の駅となった後、1987年に無人化されました。開業当時のままの古い駅舎が残る貴重な駅で、周辺にはお店などなく住宅街が続いています。

茶志内駅

1916年に鉄道院の駅として開業しました。北海道旅客鉄道の駅となった後、1997年に無人化されました。駅前には国道12号線が走っており、道路沿いに集落が形成されています。集落から外れると田園地帯が広々としています。

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土地販売部 前平 竜斗前職はまったく畑違いの仕事をしていましたが思い切ってこの業界に飛び込んで現在に至ります。住宅、不動産の売買はお客様の人生に深く関われる重要な仕事であり、責任と共に喜びも大きいなと感じています。 地域の不動産の購入・売却のご相談は是非北章宅建にお任せください。

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