2020.03.05郷土誌から読み解く地域歴史情報

小樽の埠頭を築いた『小樽築港』駅の歴史 ~明治・大正・戦前編~

さて、今回は小樽築港駅とその周辺を紹介してゆきましょうか。
この東側は以前紹介した桜・桜町のエリア、西側は南小樽駅のエリアになります。
また、南西側には潮見台というエリアが所在していますね。

小樽築港駅は快速エアポート、ニセコライナーの停車駅として手稲駅と南小樽駅の間に所在します。
小樽・札幌近郊の住人にとってはかつてマイカル小樽と呼ばれ、現在はウィングベイ小樽と改称された大規模商業施設が最も有名でしょうか。
その他にも多くの港湾施設があります。

小樽築港周辺施設概況図

さて、この小樽築港はどのようにして成立していったのでしょうか。
明治29年測量、明治42年修正の5万分の1地形図を見てみましょう。

小樽築港 地形図(明治)

地図西側には『若竹町』、東側には『平磯岬』と記載されていますが、いずれも現在も存在する地名です。
平磯岬は地形図を見ても分かる通り、大きく張り出した岩盤の岬で札幌と小樽を結ぶ間の難所として知られ、当時、人馬が滑落する事故も多発していたそうです。
明治13年に空知地方の石炭を運搬する為に開通した官営幌内鉄道では平磯岬の下を貫通させる若竹第3隧道=3号トンネルが着工し、開通ギリギリまで工事が実施され、何とか開通の運びになったそうです。
トンネルを掘って出た土砂は埋め立てに使われたそうです。

平磯岬

写真は札幌側から小樽側へ平磯岬を見下ろしたもので、中央付近には若竹第3隧道が見えますね。
現在、札幌・小樽間を結ぶメインルートである国道5号線昭和23年に開通した平磯トンネルを札幌へ向かう車線、昭和57年に開通した平磯トンネルを小樽へ向かう車線として利用していますが、昭和23年平磯トンネルが開通するまでは、この平磯岬を外回りするルートが利用されていました。
この海側のルートは現在『小樽港縦貫線』として桜に始まり小樽築港を経由し、勝納埠頭、第一~第三埠頭、色内埠頭を通って手宮の小樽市総合博物館周辺で祝津へ向かう道道454号線に合流します。

平磯岬の上の銀鱗荘

平磯岬の上は小樽市桜1丁目1番地、余市から移築されてきた温泉旅館『銀鱗荘』がありますが、元々余市に新築されたのも明治33年頃のことでした。

官営幌内鉄道北有社を経て明治22年北海道炭礦鉄道に払い下げられますが、北海道の空知地方から産出した石炭を手宮から積み出して輸出する事業は国策として非常に重視され、明治後期には小樽が北海道の重要拠点となってゆきます。
小樽は元々内海の入江で波が穏やかな天然の良港と呼ばれていましたが、船舶の来航が非常に多くなった為、近代的な港湾への整備計画が進んでゆきます。
明治30年には小樽築港第一期工事として手宮側『北防波堤』が着工し、10年を経て明治41年に完成、竣工の同年には小樽築港第二期工事として平磯岬側の『南防波堤』が着工します。
そう、『小樽築港』とは、元々はこの北堤防と南堤防の築造計画を指す言葉だったのです。
前掲の地形図の通り、当初、小樽築港に駅は設置されませんでしたが、南防波堤の工事の為に資材を運搬する駅として明治43年には小樽築港停車場が設置されます。

小樽築港平面図

南防波堤を築造する為に設置された工事事務所は、現在も小樽港湾事務所として残されています。

南防波堤工事

いやぁ、流石に明治時代だけあって、トロッコと木で防波堤が建設されている様子が分かりますね。
しかしながら左側トロッコには煙突があり、そこからは白煙が上がっているように見えることから、蒸気機関による小型機関車なのかもしれません。
また、防波堤の両脇に控える工作船には木製か金属製かは判然としませんが、船首にクレーンが設置されています。
明治の西洋的な設備による港湾整備であったということが写真からも分かりますね。

このようにして築造が進む南防波堤と、先に建設された小樽築港停車場が描かれた大正5年版の2万5千分の1地形図を見てみましょう。

小樽築港 地形図(大正)

先にも記載されていた『若竹町』『平磯岬』に加えて、をたるちくこう・・・『小樽築港』停留場が記載されています。
平磯岬から先に南防波堤が伸びて行っていることが分かりますが、この段階ではまだ完成には至っておらず、全長約1.8kmあるうち、この地形図の段階では約1.5kmまでしか出来ていなかったようです。(地形図から算出。)
南防波堤が竣工したのは大正10年の事であったとの事です。

また、現在は小樽港縦貫線となっている道路、旧:国道5号線が平磯岬を外回りして整備され、小樽築港停留所周辺まで伸びていることが分かります。
桂岡町の記事でも説明しましたが、これは明治37年の日露戦争を受け、ロシアの南下に対応する為に札幌・小樽間の連携を強める為に整備された『軍事道路』と呼ばれる道路の一部です。
のち明治40年には国道42号へ昇格し、大正9年には国道4号線に改称され、『札樽国道』と呼ばれるようになります。
つまり、この頃は国道4号線になる直前という事ですね。道が途切れていることも整備途中であることが原因でしょう。

地形図から2年経った大正7年には二代目駅舎が完成します。
この駅舎は現在の駅舎がマイカルグループの再開発に伴って平成11年に開業するまで約83年間と非常に長い期間に渡って利用されていた建物です。

旧小樽築港駅

小樽築港駅現況

小樽築港 若竹工場

こちらの写真では南防波堤の築造はほとんど終わっているように見えます。
埋め立てされた線路がいくつにも枝分かれしており、この頃には貨物駅として中心的な運用がされていたことが分かります。
札幌近郊で同じように複数の線路が枝分かれしている場所は、この先の手宮駅が石炭の積出しの為に利用されていたのと、札幌市内の苗穂駅が鉄道の整備工場として利用されている他にはありませんでした。

昭和2年には、機関区が小樽築港機関区として独立し、扇形機関庫が設置されます。
扇方機関庫は現在も旧:手宮駅にあったものが小樽市総合博物館にて一部展示されていますが、手宮駅のものは明治期にレンガ造で建築された建物で、小樽築港駅に建築されたものは大正13年大正末期の築で鉄骨造のより大規模な建物でした。

旧手宮駅の扇形機関庫

写真を引用したいのですが権利関係で叶わず、旧:手宮駅の扇形機関庫の写真を示します。
そも、この小樽築港機関庫自体がこの昭和2年小樽駅にあった小樽機関庫を移設して、手宮駅にある手宮機関庫を分庫とするという整備計画に基づくもので、発展によって手狭になった小樽駅と明治以来の施設で手狭な手宮駅から郊外の新しい埋め立てエリアに設備を更新しようという意味合いのものだったのでしょう。

小樽築港修繕平面図

これは南小樽の記事の際にも引用した昭和2年発行、北海道庁による『小樽港修繕平面図』です。
勝納川の河口に『鐵道省第一期計画』という埋立地が記載されている他、南防波堤と北防波堤の間や途切れている部分に『副防波堤』と呼ばれる斜めの小さな防波堤の設置予定が朱筆されています。
それ以外にも数々の埠頭の建設予定が点線の朱筆で示されていますが、ご存知の通り現在の形状とは大きく異なります。

昭和7年にはこの埋立地を経由して同年に開業した浜小樽駅までの線路が函館本線の貨物支線として敷設されます。
浜小樽駅についてはいずれ触れることもあるかもしれませんが、現在の中央埠頭と港町埠頭の間の根元、小樽市総合博物館運河館の周辺にあった貨物駅です。
この頃は第一次世界大戦と日中戦争の間の時期で、埠頭の整備が積極的に行われていたことが分かります。
日中戦争、第二次世界大戦と時代が下る中でも、北海道の拠点として小樽の港湾整備は1号埠頭~3号埠頭の築造が進んでゆきますが、小樽築港駅周辺に関しては戦後まで大きな変化はありません。

戦後、昭和25年の2万5千分の1地形図を見てみましょう。

小樽築港 地形図(昭和)

鉄道省埋立地や浜小樽駅方面に線路が延びているのと埋め立てによって陸地の面積が増えているほか、平磯岬の上に建物が建築されていることが分かります。
これは前述の銀鱗荘昭和13年に余市から移築されてきたものですが、第二次世界大戦末期の昭和19年には一時、大日本帝国陸軍に高射砲の用地として接収されたこともあります。

今回は明治から戦前の小樽築港の歴史を紹介しました。
次回は小樽市中心部の埠頭の整備が完了し、小樽築港の周辺でも港湾設備の更新が始まりまった戦後と、産業構造の転換によって2代目駅舎を82年も使う事になってしまった経緯、そしてマイカル小樽の隆盛、令和の小樽築港について考えてゆきましょう。

 

当記事は⼩樽・後志エリアでインターネットに掲載されていない物件情報や、地域ならではの不動産の売却・購⼊・賃貸・管理に関するノウハウを有するイエステーション:北章宅建株式会社のスポンサードコンテンツです。
⼩樽・後志エリアの不動産に関するご相談はイエステーション⼩樽・余市・手稲・⽯狩の各店舗への依頼をお薦めします。

細井 全

【参考文献】
◇小樽港湾建設事務所『写真集 小樽築港100年のあゆみ』平成9年
◇小樽市『若竹地区水面貯木場及び周辺有効活用計画』平成27年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第1巻』(旧版)昭和18年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第2巻』(旧版)昭和18年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第3巻』(旧版)昭和19年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第1巻』(新版)昭和33年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第2巻』(新版)昭和36年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第3巻』(新版)昭和56年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第4巻』(新版)昭和56年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第5巻』(新版)昭和56年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第6巻』(新版)昭和56年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第7巻 ⾏政編(上)』(新版)平成5年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第8巻 ⾏政編(中)』(新版)平成6年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第9巻 ⾏政編(下)』(新版)平成7年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第10巻 社会経済編』(新版)平成12年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第10巻 文化編』(新版)平成12年
◇⼩樽市『未来のために=⼭⽥市政3期12年をふりかえって=』平成24

◇大日本帝国陸地測量部五万分の一地形図『小樽』明治29年測量、明治42年部分修正
◇大日本帝国陸地測量部二万五千分の一地形図『小樽東部』大正8年
◇内務省地理調査所二万五千分の一地形図『小樽東部』昭和31年
◇国土地理院 航空写真各種
◇小樽観光大学校『おたる案内人 検定試験公式ガイドブック』平成18年
◇佐藤圭樹『小樽散歩案内』平成23年
◇朝日新聞DIGITAL『大型商業施設「ウイングベイ小樽」、民事再生法を申請』平成20年12月8日15時08分

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