2021.02.10地域歴史情報

知られざる朝里エリアー朝里・新光-の現代

朝里エリアの上空からの写真

かつて、朝里川上流、イエステーション北章宅建朝里ダムの周辺、住所としては『朝里川温泉』周辺の歴史について、朝里ダム周辺のかつての旧称であった『ガッカリ沢』や『AVA構想』というキーワードにも触れて紹介しました。
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しかしながら、朝里地区の歴史はそれがすべてではありません。
朝里地区の下流、朝里駅の周辺には朝里海水浴場や朝里インターチェンジ、朝里ショッピングセンターなど小樽市内でも有数の住宅地、別荘地として繁栄しているエリアです。

 

今回は朝里川下流のエリアの歴史について紹介してゆきましょう。
…と、言いたいところですが、歴史を紹介する前に『朝里エリア』とは何か、という定義付けが曖昧なまま進めてゆくと話にまとまりがなくなってしまいますので、その前段として『朝里エリア』について説明してゆきましょう。

朝里エリアの歴史

シリーズの中でも比較的人気の高い記事『小樽市誕生の経緯① ~3つの郡と2つの地域の合併の歴史~』で紹介した通り、現在の小樽市は大まかに明治期の『小樽郡』『高島郡』『忍路郡』の3つの郡からなっていました。
現在の小樽駅を中心とした市街地エリアは元々27もの町名からなっていましたが、それが明治32年に特別区である小樽郡小樽区として統合されます。
『小樽郡』は小樽区以外にも『朝里村』『張碓村』『熊碓村』『銭函村』の4村からなり、それらが明治35年に統合され新たに朝里村となりました。

明治39年ごろの小樽の地図

同様の動きが『高島郡』『忍路郡』でも起こり、結果として3つの郡は『小樽郡小樽区』『小樽郡朝里村』『高島郡高島町』『忍路郡塩谷村』の4つの行政区画まで統合されます。これが小樽における明治の大合併です。
“小樽における”と前置きをするのは一般に『明治の大合併』という言葉は明治20年代における全国での町村合併を指し、一般の語義とずれが生じる為です。

 

では、これから紹介する『朝里エリア』とは明治35年に統合された新:朝里村なのかと言えば、そうではありません。
私が『朝里エリア』として定義づけるのは本来の、というと語弊がありますが明治35年に統合される前の、旧:朝里村のエリアを指します。

 

翻って現代における旧:朝里村の村域『朝里エリア』はどのようになっているのでしょうか。

旧朝里村の地図

はい、上図の通り『朝里エリア』の地名として『朝里』『新光』『新光町』『朝里川温泉』の4つの町名が指定されています。
このうち『新光町』以外は『○丁目』という町名が設定されており、『朝里』は1~2丁目、『新光』は1~5丁目、『朝里川温泉』は1~3丁目までがあります。
『新光町』は石倉山の一帯の大部分は原則的に建物が建てられない『市街化調整区域』となっている為に、『丁目』で管理されていないのです。
新光町のうち国道5号線沿いなど住宅地に隣接するごく一部が住宅地となっており、勿論これは『市街化調整区域』ではなく、合法的に建築されている訳ですが、住所は『新光町○○○番地○○』という表記になります。(○番○号とはなりません。)
さて、前掲の地図を見て頂くと4つの町名のうち、朝里エリアの面積の大半は南側の山あい『朝里川温泉』が占めていることが分かって頂けるでしょう。
『朝里川温泉』は朝里ダムがあるほか、札幌市南区定山渓に隣接し、札幌国際スキー場を利用する方にも馴染みの深い場所であり、のちに地崎組の二代目を襲名する地崎晴次氏がちょっと引いてしまうような経緯で開削した道道1号線を中心としたエリアです。

朝里温泉通りの看板

朝里川温泉郷の案内板

北章宅建イエステーション朝里ダムや『朝里川温泉』周辺の歴史については前述の通り、かつて別の記事で紹介をしましたので、今回は『朝里川温泉』以外の『朝里』『新光』ついでに『新光町』の3つの町名のエリアについてご紹介をしてゆきましょう。

朝里と新光の地図

朝里川温泉を除外し、主要幹線道を記入した朝里エリアの地図がこちらです。
『朝里』と『新光』『新光町』は国道5号線を境界として南北に隔てられています。
先の地図でもそうですが、『朝里』という地名は海沿いの非常に限られた部分にしかないという事がお分かり頂けるでしょう。
『朝里』はJRの駅がある為、そこそこメジャーな地名ですが、朝里エリアの住宅街のほとんどは『新光』にあるという事です。

また、『朝里川温泉』や定山渓に繋がる道道1号線は国道5号線を起点として新光の住宅街の中心を南北に縦断しています。

小樽と札幌とを結ぶ高速道路であるE5A 札樽自動車道は国道5号線側から少し山側に並行して東西を横断しており、道道1号線との交点が朝里インターチェンジとなっています。

朝里インターチェンジ

朝里インターチェンジの案内看板

朝里インターチェンジがあることで、スキー客や温泉客を中心に朝里の知名度が上がっていると言っていいでしょうが、住所的には『新光』に所在している訳ですね。
札樽自動車道から南側に枝分かれしているのが平成30年に余市との間を開通し、令和5年に仁木・共和・倶知安を結ぶ予定のE5A 後志自動車道です。
北海道新幹線と共にニセコ・倶知安エリアへのアクセスが向上することが見込まれる注目の路線で、全線開通前の現在でも余市までのアクセスがかなり向上しています。

国道5号線の看板

このように朝里は札幌と小樽の間にあるということに加え、後志自動車道が存在することによって小樽中心部の更に西側である塩谷や余市、そしてゆくゆくは倶知安・ニセコの方向にも通じる交通の要衝となっています。

また、南方向において朝里川温泉や朝里ダム、スキー場、定山渓温泉へのルートにもなっているという点は注目すべきでしょう。
そんな朝里エリアは明治期からどのような経緯を辿って現在に至っているのでしょうか、次回以降紹介してゆく予定です。

 

当記事は⼩樽・後志エリアでインターネットに掲載されていない物件情報や、地域ならではの不動産の売却・購⼊・賃貸・管理に関するノウハウを有するイエステーション:北章宅建株式会社のスポンサードコンテンツです。
⼩樽・後志エリアの不動産に関するご相談はイエステーションの各店舗への依頼をお薦めします。

細井 全

【参考文献】
◇有限会社北海道新聞中販売所『小樽・朝里紀行』平成30年
◇小樽港湾建設事務所『写真集 小樽築港100年のあゆみ』平成9年
◇小樽郡朝里村役場『札樽国道小樽銭函間改良工事写真帖』昭和9年
◇小樽市役所『小樽市史 第1巻』(旧版)昭和18年
◇小樽市役所『小樽市史 第2巻』(旧版)昭和18年
◇小樽市役所『小樽市史 第3巻』(旧版)昭和19年
◇小樽市役所『小樽市史 第1巻』(新版)昭和33年
◇小樽市役所『小樽市史 第2巻』(新版)昭和36年
◇小樽市役所『小樽市史 第3巻』(新版)昭和56年
◇小樽市役所『小樽市史 第4巻』(新版)昭和56年
◇小樽市役所『小樽市史 第5巻』(新版)昭和56年
◇小樽市役所『小樽市史 第6巻』(新版)昭和56年
◇小樽市役所『小樽市史 第7巻 行政編(上)』(新版)平成5年
◇小樽市役所『小樽市史 第8巻 行政編(中)』(新版)平成6年
◇小樽市役所『小樽市史 第9巻 行政編(下)』(新版)平成7年
◇小樽市役所『小樽市史 第10巻 社会経済編』(新版)平成12年
◇小樽市役所『小樽市史 第10巻 文化編』(新版)平成12年
◇小樽市『未来のために=山田市政3期12年をふりかえって=』平成24

◇小樽観光大学校『おたる案内人 検定試験公式ガイドブック』平成18年
◇佐藤圭樹『小樽散歩案内』平成23年
◇大日本帝国陸地測量部五万分の一地形図『小樽』明治29年測量、明治42年部分修正
◇大日本帝国陸地測量部五万分の一地形図『銭函』明治29年測量、明治42年部分修正
◇大日本帝国陸地測量部五万分の一地形図『小樽東部』大正7年
◇大日本帝国陸地測量部五万分の一地形図『石倉山』大正5年
◇内務省地理調査所二万五千分の一地形図『小樽東部』昭和25年
◇内務省地理調査所二万五千分の一地形図『張碓』昭和31年
◇国土地理院 航空写真各種

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