2020.07.02地域歴史情報

小樽駅はどのような経緯で小樽の中心街となったのか ~明治・大正編~

さて、北海道有数の観光地である小樽市ですが、現在の小樽市の中心であり、観光の起点ともなっているのは言わずと知れた小樽駅です。

小樽駅前

写真中央の茶色い建物が駅庁舎、向かって左側にはバスターミナルがあり、小樽市内各所や余市・積丹・ニセコなどの後志エリアのバス網の中心的役割を担っています。
観光客の方は祝津にある『おたる水族館』に行くのに利用する機会が多いのではないでしょうか。

小樽駅の外観

今回は小樽駅について紹介をしてゆく訳ですが、この小樽駅のルーツを探ってゆくと当初の地名や駅名は大きく違ったものであった、という事実が分かります。
この辺りのお話は過去記事『小樽市誕生の経緯2 ~小樽中心部の27の町の派生と統合~』や『かつて小樽駅だった南小樽駅周辺の歴史 ~明治編~』と一部重複しますが、今回は小樽駅にフォーカスを絞って、改めて一連の流れを紹介してゆくこととしましょう。

 

ところで、小樽という地名の由来は札幌市との境界付近を流れるオタルナイ川が元々の由来で、つまりは現在の銭函周辺であったと言われています。
これが江戸期の場所請負制の中でもっと北側、現在の南小樽駅周辺に移動してオタルナイ運上屋が設置されます。
明治政府が成立し、ロシアの南下に対応する為に北海道の開拓に注力する為、明治2年には札幌に開拓使が置かれますが、当時の札幌は未開の原野、まずは江戸期からの港町であった小樽や函館が利用されます。
明治初期にはオタルナイ場所のあった勝納川下流の現在の南小樽駅周辺…信香町や勝納町が旧市街として栄えました。

明治時代の小樽港

これは明治元年の小樽を描いた資料ですが、画像左側の勝納川周辺に集落が形成されていることが分かりますね。
この時点で現在の小樽駅周辺が無人であったという訳ではなく、他にも余市、蘭島、忍路などニシン漁場は各地にありましたが、ニシン漁はあくまでも季節労働であって大きな集落は形成されていなかったのでしょう。
この中で画像の中央やや右側付近が当時エロナイ、エルモナイ、エリモナイ、イリモナイなどと呼ばれ、のちに色内と書き表されるようになった現在の小樽駅周辺です。

明治3年には高島郡色内村が置かれますが、そう、この当時、現在の小樽駅周辺は小樽郡ではなく高島郡という別の郡に所在していた訳ですね。
ちなみに『高島郡』は色内村から現在のおたる水族館が所在する祝津周辺までを含む一方で『小樽郡』は勝納川下流の現在の南小樽駅周辺から朝里村、銭函村まで含む現在の札幌市との境界付近までを含むかなり広い範囲でした。

明治15年の小樽港

明治15年まで時代を下ってみましょう。
やはり勝納川の周辺が栄えていますが、少しずつ道路が整備され、海岸の埋め立ても進んでいますね。
地図には鉄道の線路が記載されています。これは明治13年に開通した官営幌内鉄道で、小樽駅の前身である開運町停車場も同年に設置されていますが、当時、現在の小樽駅の位置には駅はおろか線路もありませんでした。
画像右側に見えるのは鉄道で運搬してきた石炭を船に積み込む為の手宮桟橋です。
このようにして江戸期から明治初期にかけて栄えた勝納川下流(現在の南小樽駅周辺)ですが、明治14年に大火があり、大きな被害を受けます。
この大火に加え、鉄道開通の影響もあったのか、『小樽』は更に北上し、色内周辺へと市街が移動してゆきました。
明治14年高島郡色内色内町に昇格したほか山の手側(南側)の一部が分離して稲穂町が設けられます。
このようにして現在の小樽の中心エリアの礎が出来てゆく訳ですが、発展に伴って土地が足りなくなり、また、船舶の大型化によって遠浅の砂浜ではなく人工的な埠頭の方が便利となったのか、海岸の埋め立てが進んでゆき、明治22年には色内町の砂浜が埋め立てられた後に北浜町南浜町が新設されました。
時系列は前後しますが、その後、明治32年には高島郡に属するこれらの町は小樽郡小樽区へ編入されます。

 

明治25年から明治29年の間、北海道庁の長官を務めた北垣国道はこのような埋め立てや防波堤の整備を進め、小樽を近代的な港湾へと発展させてゆきます。

北垣国道の写真

 

当時…というか戦前までの北海道庁長官は他地域の県令・知事と同様に選挙によって選ばれるではなく政府から任じられて派遣されていた役人であり、明治政府の役人の多くは士族、それも維新志士であった経歴を持つ方が多いものです。
北垣国道氏は但馬国(現在の兵庫県)出身の維新志士で、明治維新に参加後、明治政府では高知県令、徳島県令、京都府知事、北海道知事を歴任し、中央へ戻って拓殖省に赴任後に明治32年から明治45年まで貴族院議員を務めます。
貴族院議員就任後、明治29年には新しい1万円札の肖像にもなる渋沢栄一らの主導によって函館と小樽を結ぶ目的で函樽鉄道が設立、明治33年には北海道鉄道と改称され、北垣氏が初代社長に就任します。(会社組織に関する記述は資料によってばらつきがあります。)
これは、前掲の図面に線路が描かれていた官営幌内鉄道が最終的に払い下げられた北海道炭礦鉄道とはまったく別の組織です。

 

明治36年北海道鉄道は現在の小樽駅の位置に『小樽中央』駅を設置しますが、この敷地は前年まで稲穂町の墓地だったそうで、鉄道敷地として利用されるために廃止されたそうです。
同年にこれに対抗してか、北海道炭礦鉄道が開業当初は金運町停車場であった当時の住吉駅を『小樽』駅と改称。
前述の通り、既に中心街は小樽中央駅付近まで北上しており、また、北海道鉄道と北海道炭礦鉄道はまったくの別会社で接続もしていない為、紛らわしく、非常に不便であると不評であったそうで、開業から早々に『稲穂』駅に改称します。

中央小樽駅

明治37年には、両社の共同で連絡線が設置され、また、『稲穂』駅が更に『高島』駅と改称されます。
更に明治38年には『中央小樽』駅再々改称大正9年までの間、約15年間『小樽』と『中央小樽』の2つの駅が併存することになります。
明治39年に施行された鉄道国有化法によって北海道炭礦鉄道が国有化、翌年には北海道鉄道も国有化され、『小樽』と『中央小樽』間の連絡線は正式に一体的に運用される鉄路となりました。
この相次ぐ改称や路線の混在は現在の視点からも非常に煩雑であり、国有化された後も長期間に渡ってこの併存が解消されなかった理由ははっきりと資料には残っていません。
明治末期に『小樽』駅を『入船』駅に改称しようという動きに対して地元の有力者からの大反対があったとのことで、一方で中央小樽駅周辺の住民としても改称の要望があったそうですから、そういった住民間の確執があったのは想像に難くありません。

明治29年の小樽の地図

こちらは明治29年測量、明治42年発行の大日本帝国陸地測量部の5万分の1地形図で、縮尺の都合でかなり粗い画像になっていますが、『ちゅうあうをたる』≒中央小樽駅があることが分かります。
枝分かれした線路のうち、左側で中央小樽があるのが現在の函館本線、右側が既に廃止された手宮線です。
明治末期にはすっかり市街化している様子も見て取ることが出来ますね。
駅正面から真っすぐ海へと下る道は現在も小樽の中心を貫く道路で『小樽中央通り』と呼ばれています。

小樽中央通り

混み合う小樽中央通り

小樽運河沿いの道道17号線と並んで観光客にとっても印象深い小樽のメインストリートである『小樽中央通り』ですが、元々、明治期には『第二火防線』と呼ばれていました。
火防線とは火災による延焼を防ぐ目的で設定される建物を建築しないエリアで、ちなみに札幌市の大通公園なども元々は大規模な火防線だったものです。
小樽では旧市街である現在の南小樽側から第1~第3の火防線が設定されており、現在ではいずれも公道になっています。

高台から見た小樽の街並み

大正8年の小樽の地図

大正8年版の大日本帝国陸地測量部地形図ですが、駅の改称の前年ということもあり、相変わらずの『ちゅうあうをたる』表記ですね。
第二火防線は既に『中央通』と表記されていますが、第一火防線は『浅草通』、第三防火線は『龍宮通』と表記されており、これらの通りは現在も名称が残っています。(ただし、龍宮通については現在では『竜』宮通りという表記が一般的となっています。)

明治44年の小樽中央駅

この頃の駅舎は明治44年に当時の小樽中央駅として建築された2代目駅舎という事ですが、初代駅舎の写真や絵などは私の調べた範囲では見当たっていません。
初代駅舎は明治33年から11年間だけ利用された駅舎であって、写真も少ない時代ですからやむを得ないのかもしれませんね。

前述の通り、大正9年に小樽中央駅は『小樽』駅へ、小樽駅は『南小樽』駅と改称して駅名称が整理され、現在の状態になります。
また、大正11年には市制施行により小樽区が小樽市となります。
大正期、小樽は漁業の町から貿易と金融の街、いわゆる『北のウォール街』に姿を変えます。

小樽日本銀行の外観

大将時代の小樽の街並み

このようにして石炭の積出港として、北海道と日本国内を結ぶ玄関口として、北海道の金融街として、大正から昭和初期において小樽は最盛期を迎えてゆくことになります。

さて、このような紆余曲折があった結果、隆盛を誇った小樽駅ですが、この後、昭和から平成にかけてどのような背景を経て現代に至るのかは、次回以降紹介してゆきましょう。

 

当記事は⼩樽・後志エリアでインターネットに掲載されていない物件情報や、地域ならではの不動産の売却・購⼊・賃貸・管理に関するノウハウを有するイエステーション:北章宅建株式会社のスポンサードコンテンツです。

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細井 全

【参考文献】
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第1巻』(新版)昭和33年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第2巻』(新版)昭和36年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第3巻』(新版)昭和56年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第4巻』(新版)昭和56年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第5巻』(新版)昭和56年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第6巻』(新版)昭和56年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第7巻 ⾏政編(上)』(新版)平成5年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第8巻 ⾏政編(中)』(新版)平成6年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第9巻 ⾏政編(下)』(新版)平成7年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第10巻 社会経済編』(新版)平成12年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第10巻 文化編』(新版)平成12年
◇⼩樽市『未来のために=⼭⽥市政3期12年をふりかえって=』平成24年
◇小樽港湾建設事務所『写真集小樽築港100年のあゆみ』平成9年
◇大日本帝国陸地測量部五万分の一地形図『小樽』明治29年測量、明治42年部分修正
◇大日本帝国陸地測量部二万五千分の一地形図『小樽西部』大正5年
◇大日本帝国陸地測量部二万五千分の一地形図『小樽東部』大正5年

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