2021.03.16地域歴史情報

戦後昭和における-朝里・新光-の宅地化と観光地化

昭和25年~31年の朝里の地形図

さて、前回の記事の最後にお示しをした内務省地理調査所発行の地形図、昭和25年『小樽東部』昭和31年『張碓』を合成した画像を再び見てゆきましょう。
昭和20年の終戦以後の出来事としては、三栄精機製作所が進駐軍に接収はされたものの、昭和22年には操業を再開し、一時は朝鮮特需によって持ち直すものの、その後の不況で昭和28年に朝里から撤退してしまいます。

 

また、昭和26年に朝里小学校が札樽国道沿いから現在の所在地である新光2丁目に移転しています。
上記の地形図にはどちらにも『』の地図記号が記されています。

 

地形図を見ると現:国道5号線に加え、『道道小樽定山渓線』現:道道1号線もよく整備されてきたことが分かりますが、これは戦前に地崎晴次氏が興した小樽定山渓自動車道株式会社が専用道路として利用していたものを昭和26年小樽市豊平町、そして中央バスの3者が費用を負担して購入して整備して旧:道道3号線とされたものです。
当時はまだ豊平町が札幌市に合併されていませんでしたから、定山渓側の道路の当事者として豊平町が登場した訳です。
また、中央バスに関しては複数のバス会社が統合する形で昭和18年に設立されたもので、統合されたバス会社の中には小樽定山渓自動車道株式会社も含まれていました。

 

さて、戦後やや落ち着いてくると、北海道では台湾、朝鮮半島、樺太、満州などのいわゆる『外地』からの『引揚者』が大量に押し寄せ、住宅不足が問題になってきます。
そんな中で問題として噴出して来たのが、前回ご紹介した朝里・新光における住宅用地不足でした。
昭和29年に施行された土地区画整理法によって、全国的に区画整理事業の機運が高まっていましたが、昭和30年代にはその潮流が朝里エリアにも迫っていました。
しかしながら、朝里エリアは旧:都市計画法に定める都市計画区域に含まれていない為、規則的な街づくりが出来ていないということで昭和30年代には北海タイムスや北海道新聞などのマスコミが批判を行なったようです。
それでは前回紹介した画像ではありますが、昭和3年『町名番地改正小樽市全図』を見てみましょう。

昭和3年町名番地改正小樽市全図
昭和30年代の様子を示したものではありませんが、少なくともこの頃は小樽の中心部や、手宮周辺、勝納周辺、奥沢村方面、長橋方面までしか都市計画区域とされておらず、朝里は勿論のこと、熊碓にも都市計画は定められていなかったようです。

 

都市計画が定められていないことがマスコミの批判の対象となったほか、都市区画整理事業を実施する為には測量や事業費に多額の費用がかかることから、小樽市としても手を出すに出しかねる状況であったようです。
昭和36年、当時の小樽市長:安達與五郎氏は市として計画に着手する前提として地主への協力を求めた上で、昭和39年度を初年度とする朝里新光地区土地区画整理五ヶ年計画の草案を発表しました。
これは現在の朝里・新光の住宅街の大部分を占める区域設定がなされたものでしたが、こういった事業の常として地元住民の反対運動が勃発して問題が発生します。
そもそも、朝里・新光全体を一度に土地区画整理事業の対象とするということは、無謀であったと言えるでしょう。
各地区の利害調整や、予算の兼ね合いから、1つの区画整理事業としてではなく、3つのエリアに区分して区画整理事業が進められてゆくことになります。
ここで住民運動や政治のゴタゴタを細かく説明しても仕方のないことですから、3つの土地区画整理事業についてシンプルに紹介してゆきます。

 

1)朝里南土地区画整理事業
まず着手されたのは最も山側・南側のエリアで、おそらくは利害関係者の衝突がさほど大きくなかった為に最初に着手されたのでしょう。(それでも農地の収用などにかなり苦慮していたようですが…)
昭和39年~昭和43年度にかけて実施され、昭和44年3月に完成しました。(3月ですから昭和43年度内ということです。)

朝里南土地区画整理事業地域図

2)朝里北土地区画整理事業
朝里地区の土地区画整理事業の問題として最も大きかったのは、幹線道路沿線の権利関係の整理であったようですが、それでも特に利便性が高く、重要性が高いという判断からか、朝里2~3丁目、新光1~3丁目について昭和41年3月~昭和48年2月の間で事業計画が実施されました。
神経質な話になってしまいますが、昭和41年は昭和40年度な訳ですが、北海道庁から認可を受けたのが3月25日と年度末ギリギリだったからか、小樽市史の記録によると予算については昭和41年度から執行されているようです。

朝里北地区新町名地番図

3)朝里中地区土地区画整理事業
施工が最も遅れた朝里中地区はのちに現在のE5A 札樽自動車道となる『札樽バイパス』(当初は高速道路ではありませんでした。)が通ったことや、それが近いうちに高速道路化され、朝里インターチェンジが設置される予定となったことで更に利害関係の調整を要したようで、昭和45年昭和50年度に実施されました。

朝里中土地区画新町名地盤図

3つの土地区画整理事業が完了するのに11年を要した訳で、当初計画していた5年間での実施というのは、計画として流石に無理があったというべきなのか、権利者・住民のエゴで開発が立ち遅れたというべきなのかという評価は避けたいと思います。
どちらにせよ、この区画整理によって新しく土地を購入して移住してくる方も多く訪れ、朝里・新光エリアは高度経済成長期において住宅街として発展してゆくことになります。

 

区画整理をしていた11年の間で周辺の状況も大きく変わりました。
まずは区画整理が始まる前の昭和30年代後半の航空写真をみてゆきましょう。

昭和30年の小樽の航空写真

この時点でも戦前に比べれば建物が増え、人口密度が上がっていることが分かりますが、それでも幹線道路の脇にも多くの畑が残されていることなどから、小樽市としては区画整理事業を実施して、より密度の高い住宅地としたかったという事なのでしょう。

 

前回の記事で紹介した朝里橋とその先の旧:朝里トンネルは自動車が通行するには共に幅が狭く、老朽化も進んでいた為、昭和42年には北側に自動車の交通に適した車幅の橋と道路が新たに建築されることになりました。
昭和44年には工事が完成してルートが切り替わり、旧:朝里橋は撤去され、旧:朝里トンネルは埋め戻されることとなります。

 

昭和43年には函館本線のうち朝里駅を含む小樽~滝川間の広い範囲が電化され、これは北海道初の鉄道の電化区間であったということです。

 

昭和46年には先ほど紹介した『札樽バイパス』が2車線で開通し、昭和48年には高速自動車道『札樽自動車道』に昇格、翌昭和49年には4車線化が実現しています。

 

土地区画整理事業には、朝里が交通の結節点として発達していったことと並行して、官民様々な利害が入り乱れていたのでしょう。
区画整理がほぼ完了した昭和50年前後の航空写真を見てゆきましょう。

昭和50年の小樽の航空写真

土地区画整理事業が完了して土地が購入されても、建物が建築されずに更地のまま所有されている場合もありますから、空き地はちらほらと見えますが、それでも人口密度は各段に上がり、また札樽自動車道朝里インターチェンジの姿も確認出来ますね。
朝里川の付近で札樽国道が二股に分かれているのが、ルートの切り替わりの痕跡として見て取れます。

 

こういった自動車の普及、いわゆるモータリゼーションの発展により、鉄道で移動する人が減少したのか昭和59年には朝里駅の貨物取扱が停止され、ひっそりと無人化されます。
これは昭和62年国鉄民営化とも関連するコストカットの動きだと思いますが、鉄道については門外漢ですので言及は避けます。

 

昭和後半は高度経済成長マイホームブームモータリゼーション、そしてバブル景気に伴うスキー温泉などの行楽ブームなど、朝里エリアにとって好影響をもたらす事象が続いたことで、朝里エリアは大きな発展を遂げます。
そして、平成を迎えて現在の姿となる訳ですが、その経緯については次回紹介してゆくこととします。

 

当記事は⼩樽・後志エリアでインターネットに掲載されていない物件情報や、地域ならではの不動産の売却・購⼊・賃貸・管理に関するノウハウを有するイエステーション:北章宅建株式会社のスポンサードコンテンツです。
⼩樽・後志エリアの不動産に関するご相談はイエステーションの各店舗への依頼をお薦めします。

細井 全

【参考文献】
◇有限会社北海道新聞中販売所『小樽・朝里紀行』平成30年
◇小樽港湾建設事務所『写真集 小樽築港100年のあゆみ』平成9年
◇小樽郡朝里村役場『札樽国道小樽銭函間改良工事写真帖』昭和9年
◇小樽市役所『小樽市史 第1巻』(旧版)昭和18年
◇小樽市役所『小樽市史 第2巻』(旧版)昭和18年
◇小樽市役所『小樽市史 第3巻』(旧版)昭和19年
◇小樽市役所『小樽市史 第1巻』(新版)昭和33年
◇小樽市役所『小樽市史 第2巻』(新版)昭和36年
◇小樽市役所『小樽市史 第3巻』(新版)昭和56年
◇小樽市役所『小樽市史 第4巻』(新版)昭和56年
◇小樽市役所『小樽市史 第5巻』(新版)昭和56年
◇小樽市役所『小樽市史 第6巻』(新版)昭和56年
◇小樽市役所『小樽市史 第7巻 行政編(上)』(新版)平成5年
◇小樽市役所『小樽市史 第8巻 行政編(中)』(新版)平成6年
◇小樽市役所『小樽市史 第9巻 行政編(下)』(新版)平成7年
◇小樽市役所『小樽市史 第10巻 社会経済編』(新版)平成12年
◇小樽市役所『小樽市史 第10巻 文化編』(新版)平成12年
◇小樽市『未来のために=山田市政3期12年をふりかえって=』平成24

◇小樽観光大学校『おたる案内人 検定試験公式ガイドブック』平成18年
◇佐藤圭樹『小樽散歩案内』平成23年
◇大日本帝国陸地測量部五万分の一地形図『小樽』明治29年測量、明治42年部分修正
◇大日本帝国陸地測量部五万分の一地形図『銭函』明治29年測量、明治42年部分修正
◇大日本帝国陸地測量部五万分の一地形図『小樽東部』大正7年
◇大日本帝国陸地測量部五万分の一地形図『石倉山』大正5年
◇内務省地理調査所二万五千分の一地形図『小樽東部』昭和25年
◇内務省地理調査所二万五千分の一地形図『張碓』昭和31年
◇国土地理院 航空写真各種

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