2021.01.08地域歴史情報

小樽の西最端『蘭島』の歴史 ~昭和・平成編~

さて、前回は小樽市の最西端にあり余市町と接するエリアで北海道の海水浴場発祥の地蘭島の明治・大正期の歴史について紹介をしてゆきましたが、引き続き昭和・平成にどのような変化が訪れ、現在の姿に至ったのかを紹介してゆきましょう。

蘭島の海水浴場

非常に美しい海と砂浜ですね。
蘭島海岸は『ニセコ積丹小樽海岸国定公園』の一部に含まれていますから、これも広義の積丹ブルーと言えるのかもしれません。
さて、大正から昭和にかけ、北海道初の海水浴場として一大行楽地となった蘭島の様子を見てゆきましょう。

昭和32年の蘭島の海水浴場の様子

こちらの写真は昭和32年に塩谷村役場が発行した『忍路郡郷土史』に掲載のもので、撮影年代の記載はありませんが、ふんどしを着用している方が見当たあらず、どの男性も海水パンツを着用していることから、戦後、昭和20年代のものなのではないかと考えています。
…と、言うのも、戦前は男性の水着と言えばふんどしが着用されていたという認識による判断ですが、もしかしたら明治期から洋風の技術が導入されていた北海道では戦前から海水パンツが普及していた、などの事情があるかもしれません。
『北海道の男性用水着の歴史』というのは、遠大過ぎてちょっと調べる気になれないテーマですね(笑)
海辺に近い海上に沢山のボートが泳いでいる人のすぐ近くに浮いているというのは現代では考えられない光景ですね。

現在の蘭島の海水浴場の様子

比較的近いアングルの写真です。こうして見ると以前は海の家などが砂浜にかなりせり出していた建築されていた事が分かりますね。

 

昭和21年には蘭島海水浴場組合が発足。それ以前は浜茶屋、飲食店、貸船、貸間などの業種がそれぞれ独自に組合を作って活動しており、水難防止や環境の整備のため、監視員を設置する事故防止体制。海上にも複数の監視船が出ていたとのことです。

昭和20年代の蘭島の市街地

こちらも撮影年代の記載はありませんが、多数の電柱が立ち並び民家にも電気が供給されて電化している一方で、アスファルト舗装ではない砂利道であること、建物の形状などを総合的に勘案するとこちらも海水浴場の写真と同様に戦後、昭和20年代の写真ではないかと思います。

手前に移っている影はカメラの影でしょうか、そうであればかなり大きいカメラであったようですね。

 

さて、昭和33年内務省地理調査書発行の2万5千分の1地形図を見てみましょう。

昭和33年の蘭島の地図

明治末期の地形図では寺社(卍)のすぐ北東にあった学校(文)がかなり東側にずれ、現在の小樽市立忍路中学校の所在地に移っています。
以前の地形図に記載があったものが前回の記事で紹介した蘭島尋常小学校、今回の地形図に登場したものは昭和11年忍路中央小学校です。
忍路中央小学校は蘭島にあった蘭島尋常小学校と忍路にあった忍路尋常高等小学校が合併したもので、元々はそれぞれの村の独立性や通学の利便の為に別々の小学校であったものが、紆余曲折あって意見統一し、1つの小学校として統合したものです。
この忍路中央学校の敷地が現在の忍路学校へ引き継がれている訳です。
そういった背景事情があってか小樽市立忍路中学校は地名は『忍路』ですが忍路と蘭島の境界付近にあり、住所の上では蘭島1丁目に所在しています。

 

地形図では人家がそれなりの密度で立ち並んでいるほか、蘭島駅の北側、国道5号線の南側にはかなり建物が密集した記載になっています。
札幌でも昭和初期に多く建築された長屋状の商店街が形成されていたのかもしれません。

 

もう一つこの地形図で注目して頂きたい点として挙げられるのが、左端中央の『蘭島川』です。

蘭島川の看板

『蘭島川』は北海道が管理する二級河川で、当時は地形図の『蘭島』の文字の下側を通っていることが見て取れるように、蘭島の市街の中心部を流れていました。

真水は生活に不可欠ですから、生活用水として川の周辺に居を構えるのは当然のことです。

 

しかしながら、川の近くで生活をするということは水害と隣り合わせにあるということです。
蘭島川は函館本線の南側付近、蘭島駅の東側でチプタシナイ川と合流して北上、国道5号線を横断して蘭島市街地の中心部を流れ、河口付近でモチヤ沢川と合流して海へ流れ込むという流路を取っています。

蘭島川の河口

現在の河口部分の写真がこちらです。
この蘭島川、昭和36年昭和37年ともに豪雨によって道路や田畑が冠水して橋や家屋も流出するなど、大きな被害を生じさせました。

蘭島川の洪水

写真で見て取れる限りでは床上浸水しているほか、流木なども流れてきているようですね。

 

昭和30年代後半の航空写真を見てみましょう。

昭和30年代の蘭島の航空写真

地形図では波線でしたが、航空写真ではより大きく蛇行する蘭島川の形状が見て取れるでしょう。
また、海辺の街の宿命ではありますが、川の流れによって出来たなだらかな低地帯となっており、蘭島駅付近でも海抜は4mしかなく、蘭島市街はほとんど高低差がないことが、水害の被害が増大する原因となってしまったのです。

蘭島駅の駅舎正面

このように、蘭島は戦後の復興期・高度経済成長期に海水浴場として賑わう一方で、河川の氾濫に悩まされることになります。

昭和52年の蘭島の海水浴場

昭和52年7月の蘭島海水浴場の様子です。家族連れで非常に賑わっていることが分かりますね。
先に示した写真と異なり、木造船を使っている様子はありません。ゴムボートが何隻か浮かんでいるようです。
昭和50年代は大正~昭和初期に次ぐ、蘭島海水浴場の第二の最盛期であったとのことで、駅前にあるセブンイレブン蘭島店全国最高の売上を記録したこともあったそうです。

現在の蘭島の住宅街

写真中央やや上にあるのがセブンイレブン蘭島店(蘭島1丁目25番31号)です。その右上には白い三角屋根の蘭島駅が見えますね。
この周辺は幹線道路は国道5号線のみの一本道になっており、食事処や買い物スポットも少ないため、現在もこのセブンイレブンは重宝されているようですが、海水浴客の買い出しをほぼ独占していたのでしょう。
なお、この写真を撮影した当時は東に300mほどの位置でセイコーマート蘭島店(蘭島1丁目5番7号)も営業していたのですが、直後の令和2年7月に閉店となってしまっています。

 

さて、そのように海水浴客で賑わっていた昭和50年代後半の航空写真を見てみましょう。

昭和50年代の蘭島の航空写真

国道5号線付近の建物密度が上がっている一方で、蘭島川の両岸や河口付近など手付かずの土地がそのまま残ってしまっているように見えることの原因に、蘭島川の氾濫の影響が全くないと言うことは出来ないでしょう。

 

そこで昭和50年、北海道は住宅街から離れた函館本線の南側に川幅30mの新しい川を作る切り替え案を提示します。

蘭島川改修計画

図面の『現河川』が付け替え前の河川で、これまでの地形図や航空写真に記載されていたものです。
これとは別に人口密度の低い函館本線の南側に迂回水路を築造し、蘭島市街に流れ込む水量を減少しようという計画です。

 

しかし、昭和50年に提示されたこの河川改修案、着工までに10年、竣工するまでに19年を要する大事業になってしまいます。
…こういった公共工事では常なのですが、一部地権者からは河川の敷地となる土地の収用が生じることから反対の嘆願等が行われたのです。
川幅を広げるという事は、その分の土地を北海道が河川用地として買い上げるという事ですから、それに対して(買取条件の交渉的な面も含め)反発する住民が一定数おり、『蘭島を洪水から守る会』を結成して、新しい川を作るのではなく現在の蘭島川を深掘り(浚渫)して推進を深めてはどうか、などの案が示されたそうです。
『洪水から守る会』が河川改修に反対するというのは、う~ん…という気がしてしまいますが…

 

こういった悶着はあったものの、用地補償の面でなんとか妥結して昭和60年に河川改修工事に着手、平成6年度末に下流市街地の1250mを完工し、市街地を南側に迂回する新しい蘭島川が竣工しました。
なお、市街地を流れる旧:蘭島川については埋め立てられたりした訳ではなく、水位が下がった状態で現在も存在しています。

 

昭和50年代後半になってくると、少し海水浴人気に陰りが見え始めて来ます。
昭和57年には蘭島駅が管理委託駅となって原則、無人駅になります。まぁ、海水浴シーズンだけの賑わいで、それ以外は住民の方が利用するだけの駅であって、当時は自家用車も普及して久しいですから、駅の無人化は致し方ないのかもしれません。
昭和58年には蘭島海水浴場開設80周年を記念して、『北海道海水浴場開設発祥之地』が建立されます。

北海道の海水浴場発祥の地

これは小樽市が建立したもので碑文も当時の小樽市長である志村和雄氏によるものですが、建立に要した費用約180万円は蘭島海水浴場組合員、蘭島駅職員、地元住民らが費用を出し合ったそうです。

 

インターネット上ではWikipediaを引用…というか剽窃したサイトの多くが蘭島海水浴場について『レジャー志向の変化によって』衰退したような事が書かれていますが、これは実態を表した記載ではないと考えます。
バブル景気の中で、スキー、カラオケ、ゲームセンター、テーマパークなどの新しいレジャーの人気が高まり、海水浴人気が衰えたという事情はあるかもしれませんが、その一方でバブルというとハイレグ水着などのブームもあったのではなかったか、と考え直しました。
よくよく調べた結果、蘭島海水浴場の人気の低下は昭和50年代から平成にかけて札幌近隣の海水浴場やプールが充実してきた経緯が原因だった、と考えています。

 

その中で最も影響が大きかったと思われるのが昭和53年、現在の『おたるドリームビーチ』である『大浜海水浴場』がオープンし、交通の利便に優れ、札幌市からの海水浴客をゴッソリと集客したようです。
昭和57年には手稲稲積公園内に流れるプールやウォータースライダーを有する『ていねプール』が開業、次いで昭和63年には大規模な屋外プールとウォータースライダーを備えたバブルの遺産『札幌テルメ』も茨戸に開業、盛況を誇ります。
こうして見るとレジャー志向がどうこうという話ではなく好立地にどんどん競合施設が出来ていったから集客力が落ちてしまったというのは明白ですね。

昭和63年、これに対抗してかJR函館本線では臨時快速『らんしま号の運行を開始し、行楽客の輸送が試みられますが、7月末から8月初という2週間程度の運行期間しかなく、わずか6年後の平成5年には運行を停止しています。
この間にも札幌市では平成元年『平岸プール』平成6年『手稲曙温水プール』平成11年『西温水プール』が相次いで開業しており、手軽に水泳が楽しめる環境が出来上がってゆきます。

敢えて海へ行こうという方も、近場に『おたるドリームビーチ』があるとなると、蘭島海水浴場の競争力が減退してしまうことはやむを得ないと言えるでしょう。

 

平成7年には下水処理場として『小樽市蘭島下水終末処理場』の運転が開始しています。

蘭島の下水処理場

景観に配慮したカラーリングで、デザインも『船』をイメージしているそうです。
平成10年代の航空写真を見てみましょう。

平成10年の蘭島の航空写真

蘭島川が函館本線の南側を迂回しているのが先の航空写真との大きな違いですが、30年経っていますので建物の密度も若干上がっており、団地なども建設されています。

蘭島の海と水平線

現在の蘭島は、往年と比べればその賑わいは衰えてしまったと言わざるをえませんが、遠浅の砂浜とエメラルドブルーの美しい海は、喧騒を忘れてゆっくり過ごすには最適と言えるでしょう。
蘭島には現在も複数の民宿が営業していますので、泊りがけで逗留するのもよいかもしれません。

 

当記事は⼩樽・後志エリアでインターネットに掲載されていない物件情報や、地域ならではの不動産の売却・購⼊・賃貸・管理に関するノウハウを有するイエステーション:北章宅建株式会社のスポンサードコンテンツです。
⼩樽・後志エリアの不動産に関するご相談はイエステーション⼩樽・余市・手稲・⽯狩の各店舗への依頼をお薦めします。

細井 全

【参考文献】
◇塩谷村役場『忍路郡郷土史』昭和32年
◇竹内荘七『忍路郡塩谷村鮏漁場実測図 』明治29年
◇須磨正敏『ヲショロ場所をめぐる人々』平成元年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第1巻』(旧版)昭和18年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第2巻』(旧版)昭和18年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第3巻』(旧版)昭和19年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第1巻』(新版)昭和33年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第2巻』(新版)昭和36年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第3巻』(新版)昭和56年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第4巻』(新版)昭和56年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第5巻』(新版)昭和56年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第6巻』(新版)昭和56年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第7巻 ⾏政編(上)』(新版)平成5年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第8巻 ⾏政編(中)』(新版)平成6年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第9巻 ⾏政編(下)』(新版)平成7年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第10巻 社会経済編』(新版)平成12年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第10巻 文化編』(新版)平成12年
◇⼩樽市『未来のために=⼭⽥市政3期12年をふりかえって=』平成24

◇大日本帝国陸地測量部五万分の一地形図『余市』明治29年測量、明治43年部分修正
◇内務省地理調査所二万五千分の一地形図『余市』昭和33年
◇国土地理院 航空写真各種
◇小樽観光大学校『おたる案内人 検定試験公式ガイドブック』平成18年
◇佐藤圭樹『小樽散歩案内』平成23年
◇小樽市『広報おたる「おたる坂まち散歩」第24話 観音坂(3)

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小樽の西最端『蘭島』の歴史 ~昭和・平成編~

小樽店 小林 康之不動産業に携わる者として公正で安全な取引を心がけ、お客様の立場に立って最善の方法をご提案いたします。 一緒に住まいの華を咲かせましょう。

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