2020.01.15郷土誌から読み解く地域歴史情報

北海道新幹線『新小樽』駅の歴史 〜戦後・平成編〜

北海道新幹線の『新小樽』駅の予定地であるところの天神は、港湾都市:小樽ではかなり山の手=南側に所在しており旧中心街である現:南小樽駅周辺とは勝納川道道697号『天神南小樽停車場線』で結ばれています。

天神の空撮写真

勝納川と『天神南小樽停車場線』が海へ向かってくだってゆく様子と、交差する後志自動車道の高架が美しい写真です。

天神南小樽停車場線自体は途中で西側に迂回する訳ですが、元々の道路は天神→奥沢→若松→信香と海沿いまでくだってゆきます。

さて、戦時中の記録は殆ど残されていないのは例によってのお話ですが、戦後の様子を昭和33年発行の内務省地理調査所発行の5万分の1地形図を見ながら解説してゆきましょう。

地形図(昭和33年)

等高線の表示が細かくなっておますが、奥沢水源地の各施設が記載しているほか、さほど建物が増えている気配はありません。
一方でごみ焼却場は戦後のいつからか老朽化によって使えなくなり、ゴミは町内会で燃やし、その灰は各地の窪地や道路に埋め立てるようになっていたそうです。おそらく、老朽化だけではなく戦前戦後の燃料不足も絡んでいるのではないでしょうか。

戦前は小樽市内各所から馬車でゴミを集積し運び込んでいたものが、馬の減少によって運搬も行えなくなったという事情も関係するようです。

ゴミの収集には自動車やリヤカーなども利用されますが、小樽市は東西に細長く坂道も多い為、集積の効率はなかなか上がらなかったようです。

昭和29年のごみ収集

この頃のゴミ処理というのは現代の感覚からすると非常にルーズなもので、燃えるものは各戸または各町内で燃やしてしまって、その汚泥をその辺の窪地や道路に撒いたり、河川へ投棄するというものでした。

処理しきれない汚泥については、最上地区にある埋め立て地に埋め立てていたものの、当時の小樽は既に札幌に人口では追い抜かれてしまっているとはいえ道内有数の商業都市、昭和30年代後半には埋め立て地も満杯に近付き、ゴミの集積がままならなくなっていたようです。

 

このようにゴミの処理が恒常的な問題になっており、小樽市議会は複数回に渡って清掃に関する条例を定めていますが、とうとう昭和39年には戦後稼働できなくなっていた天神ごみ焼却場日立製作所製の焼却炉2基の導入しての大改装が着手されます。翌昭和40年には1億5297万円という多額の費用をかけて完成、小樽市史によると当時『道内では2番目の本格的なごみ焼却施設』との事ですが、設置された時期が2番目なのか、或いは2番目の規模ということでしょうか。(文脈上、規模を指しているとは思いますが。)

清掃センター

このようにして、天神ごみ焼却場は大改装を経て小樽市内全域の焼却処理を一手に担うことになります。

 

前回触れたゴム長靴が有名な三馬ゴム工業合資会社について、少し触れておきましょう。これまでも変遷を重ねて来ましたが、戦後の昭和39年三馬ゴム株式会社へと商号変更し、全国ゴム業界の3位を占めるまでになりました。
しかし、その後は冷戦の激化や漁業の交代によるゴム長靴需要の落ち込みにより、経営が悪化してゆきますが、そんな中、昭和48年には株式会社ミツウマに商号変更。

中国や韓国の割安なゴム長靴の輸入もあってそのままずるずる経営が悪化し、昭和58年には会社更生法を申請し事実上の倒産となってしまいました。

この倒産は小樽経済に多大な不安を与えましたが、更生会社として経営の合理化や事業整理を行い、その後も再建を目指してゆきます。

航空写真(昭和36年撮影)

こちらは昭和36年撮影の航空写真です。先に紹介した地形図と3年しか違いませんので、大きな違いは見られませんが、周辺の開拓の様子などが伺えますね。

航空写真(昭和51年撮影)

こちらは昭和51年撮影の航空写真。

水源地関係の施設にそう変化はありませんが、北東=写真右上の部分が宅地化され、戸建住宅が多くなっていることが分かりますね。

 

このようにして、昭和30年代はまだまだ人家の少ない状態であった奥沢・天神エリアですが、昭和40年代から50年代にかけて、宅地化が進んでゆきます。

 

そのような情勢下、札幌オリンピックの誘致決定も決まった高度経済成長下において出てきたのが新幹線とその駅の誘致という動きです。
昭和45年に施行された全国新幹線鉄道整備法は、全国にいわゆる整備新幹線を張り巡らせるという計画を示した法律ですが、その前年の昭和44年には関係自治体や議会、各種組合が新幹線の誘致の活動を行う為の団体である北海道新幹線建設促進期成会が設立しています。

昭和47年、後志・小樽縦貫北海道新幹線建設促進期成会が設立、こちらも後志管内の各市町村議会、商工会議所、農業組合、観光協会などが構成団体となっています。

同じく昭和47年北海道新幹線鉄道建設促進小樽期成会も設立し、こちらは小樽市内の関係者が参加しています。

北海道新幹線鉄道建設促進小樽期成会設立総会

このように新幹線の誘致のために次々と団体が作られてゆきますが、北海道新幹線については、他の一部の未整備区間を除いては最も整備が遅れた地域となってしまいました。政治の力関係というやつですね。
当時これだけポンポン設立された建設促進期成会は何の仕事をしていたのかという話ですよ、ホントにね。

 

小樽・後志縦貫期成会や小樽期成会などそれぞれの地域ごとに期成会が設立されていたようで、全国各地でも様々な勢力争いがあったのでしょうね。

北海道内でも、函館と札幌は始発・終点として決まっていたのですが、その間のルートは問題になっており、倶知安・小樽を経由する『北回りルート』か、室蘭・登別を経由する『南回りルート』の2つが対立しました。

(まぁ、始発である函館も新函館北斗駅は函館市内に設置されない結果となってしまいましたが・・・これについてはまたいずれお話しする機会もあるでしょう。)

『北回り』は前述の小樽・後志縦貫期成会、対する『南回り』は太平洋岸回り北海道新幹線建設促進期成会を設立しますが、昭和48年には早々に北回りルートでの敷設が決定しました。

また、翌昭和49年に駅の概要が決まるものの新小樽駅の場所は『朝里インターチェンジそば』とも書かれており、まだ現在の位置にはっきりと決まっていた訳ではないようです。

このようにして、全国新幹線鉄道整備法によって北海道新幹線は数年のうちに大まかなルートと駅の設置だけが決められ、その後50年を経てゆっくりとゆっくりと歩を進めてゆくことになります。
これ以降のお話は『北海道新幹線『新小樽』駅の歴史 〜令和編〜』で紹介しています。

 

さて、新幹線以外の奥沢・天神エリアの昭和後期~平成の事情を紹介してゆきましょう。

先に示した航空写真の通り、昭和40年代にはこの周辺も徐々に宅地化が進んでゆきましたから、元々明治期から元となる施設はあったとはいえ、天神ごみ焼却場でのごみの焼却によって発生する煤煙は周辺の住民から文字通り煙たがられ、排出される煙の成分も環境基準ギリギリという有様でした。

また、昭和48年には天神ごみ焼却場の処理能力が老朽化によって1日あたりの処理量が当初の80トンから63トン・・・なんと10年足らずで8割以下まで落ち込んでしまいました。・・・老朽化早すぎでしょ・・・(-_-;)

こういった種々の問題から昭和49年から昭和50年にかけ、集塵装置の設置といった環境対策や処理能力の向上を目標とした改修が実施っされます。
このようにして度重なる改修を重ねた天神ごみ焼却場ですが、前回も紹介した通り、ダイオキシンの社会問題化に伴う環境基準の引き上げにより、平成13年には焼却処理を終えてしまいます。
その天神ごみ焼却場の周辺が新幹線新小樽駅の予定地となっているというのは、不思議な感慨があります。

 

奥沢水源地はその後も現在に至るまで小樽エリアに広く飲用水を供給していますが、明治~大正に建築された歴史ある上水道設備ということで、特に階段式溢流が観光地としても注目されるようになります。昭和60年には近代水道百選に、平成20年には土木遺産に認定されます。

 

産業の面では、平成12年にはミツウマが再建完了します。

その後も生産は中国となっていますが人気の高いゴム長靴や、ゴム長靴以外の工場用の高品位のゴム製品などを製造しています。

北の誉酒造平成19年合同酒精、オエノンホールディングスの子会社となり、平成27年には吸収合併されたほか、小樽での日本酒醸造から撤退し、奥沢にあった醸造所と併設されていた見学施設「酒泉館」を閉館しています。

航空写真(平成20年)

最後に平成20年撮影の航空写真を紹介しましょう。

これまで紹介してきた歴史的経緯の通り、昭和40年代以降はあまり大きな動きはありませんが、建物の密度は上がっているようです。
北海道新幹線の札幌延伸が令和12年と具体的に示されたことによって、現在、この周辺では建物の解体が進んでいます。
新幹線新小樽駅という新しいインフラとそれが呼び込む賑わいが、奥沢・天神エリアに活気をもたらしてくれることを願って已みません。

 

当記事は⼩樽・後志エリアでインターネットに掲載されていない物件情報や、地域ならではの不動産の売却・購⼊・賃貸・管理に関するノウハウを有するイエステーション:北章宅建株式会社のスポンサードコンテンツです。
⼩樽・後志エリアの不動産に関するご相談はイエステーション⼩樽・余市・手稲・⽯狩の各店舗への依頼をお薦めします。

細井 全

【参考文献】
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第1巻』(旧版)昭和18年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第2巻』(旧版)昭和18年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第3巻』(旧版)昭和19年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第1巻』(新版)昭和33年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第2巻』(新版)昭和36年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第3巻』(新版)昭和56年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第4巻』(新版)昭和56年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第5巻』(新版)昭和56年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第6巻』(新版)昭和56年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第7巻 ⾏政編(上)』(新版)平成5年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第8巻 ⾏政編(中)』(新版)平成6年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第9巻 ⾏政編(下)』(新版)平成7年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第10巻 社会経済編』(新版)平成12年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第10巻 文化編』(新版)平成12年
◇⼩樽市『未来のために=⼭⽥市政3期12年をふりかえって=』平成24

◇小樽港湾建設事務所『写真集小樽築港100年のあゆみ』平成9年
◇小樽観光大学校『おたる案内人 検定試験公式ガイドブック』平成18年
◇佐藤圭樹『小樽散歩案内』平成23年
◇内務省地理調査所五万分の一地形図『於古発山』昭和33年
◇国土地理院 航空写真各種

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北海道新幹線『新小樽』駅の歴史 〜戦後・平成編〜

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