2021.05.20地域歴史情報

小樽西部の中心地『塩谷』の歴史 ~明治編~

さて、今回は『塩谷』の歴史について紹介してゆきます。

海沿いの街と山

塩谷は小樽市の西部に位置し、JR塩谷駅があるほか最近では塩谷インターチェンジが設置され、小樽と余市を結ぶ小樽市西部の中心地であると言えるでしょう。

塩谷、というと日本語由来のように思えますが、やはりアイヌ語由来で『シユーヤ』という言葉が元となっているそうです。『シユーヤ』はとあるアイヌの酋長がシユ(鍋)を岩(ヤ)に掛けたという伝説から来ているもので岩とは現在の絃掛岩を指したもの、というのが一般的に紹介されています。

塩谷の絃掛岩

この説は明治24年、永田方正氏が著した『北海道蝦夷語地名解』によるもので、そこには『鍋岩』という文字と上記のような説明がされていますが、いわゆる『※諸説あります』というやつで、はっきりとした由来は伝えられていません。

 

さて、その塩谷村が成立したのは明治3年の事で、忍路郡に属する他の3村・・・桃内村、忍路村、蘭島村と同時に成立しました。
また、最近俄かに話題となっているオタモイ=於多萠塩谷村に属しています。

小樽周辺の年表

忍路郡は江戸期からオショロ場所/ヲショロ場所としてニシン漁が盛んでしたが、季節労働者が多く、定住者は少なかったとされています。

しかし、幕末から明治にかけて定住者は増加してゆき、忍路郡塩谷村も徐々に人口を増やしていったようです。
明治9年には塩谷村の有志が建設費を募金して校舎を建築してのちに現在の塩谷小学校となる塩谷教育所を発足、9月には小樽量徳分校という扱いになりました。
明治12年には『郡区町村編成法』に基づいて、翌明治13年には塩谷村に忍路郡の4村を管轄する塩谷戸長役場が置かれます。
私はこれによってかつて忍路郡の中心で名前の由来にもなった忍路村から、忍路郡の中心地が塩谷村に移ったという事が明確になったものと捉えています。
のちに『1つの郡に1つの町村』という状態まで統合される頃に、朝里郡朝里村高島郡高島町と異なり、忍路郡塩谷村は郡と村が別の名前という状態となった遠因はここにあると言えるでしょう。

塩谷鮭漁場実測図

こちらは明治20年調査・明治29年発行の『忍路郡塩谷村鮏漁場実測図』のうち、塩谷の部分です。塩谷村のうち、字マトイワ崎、字アイガプ、字ポンムイ、字ホツケマ、字濱中、字文庫歌などの地名が記載されていますが、戦後までにポンムイ→ポン前、ホツケマ→𩸽澗、文庫歌以外の地名は表舞台には出てこないようになっています。
ちなみにこれらの地名の中で比較的知名度が高いものとして、『文庫歌』がありますが、これは国道5号線・国道229号線(重複区間)に所在する『塩谷文庫歌』というバス停による地名度で、現在の塩谷海水浴場の最寄りバス停でもあります。
読みは『ブンガタ』といい、アイヌ語の『ブンガラ/プンカルオタ』=蔓を語源とするとのことです。周辺は昔から藤の花の蔓が多かったとされています。

 

先に設置された教育所は、明治14年には塩谷学校明治25年には簡易科塩谷学校と次々と改称してゆきます。
明治26年には児童数の増加によって元駅逓局の建物を購入・改築して移転し、2年後の明治28年には公立塩谷尋常小学校と改称。修業年限は3年だったとの事です。

産業革命によって漁具の生産性が上がったからか、ニシン漁も更に盛んになって忍路郡の人口が増加し、生徒数の増加によって明治35年に再度移転改築します。
塩谷村は崖と丘陵で交通の便が悪く、通学が難しい為、明治36年には五助沢簡易教育所明治40年にはオタモイ簡易教育所が設置され、大正11年に廃止されるまでの間、通学が難しい児童はそちらで簡易的な教育を受けました。
塩谷尋常小学校本校では明治36年に高等科の設置が認可され、修業年限2年の高等科が設置されて公立学校塩谷尋常高等小学校と改称され、明治38年には更に高等科の修業年限が3年に延長されます。

 

小学校絡みの話が多くなってしまいましたが、明治36年には北海道鉄道により開設した『函樽鉄道』が前年に開業した蘭島駅と同年に開業する小樽中央駅(現:小樽駅)の間の駅として塩谷駅が設置されます。
函館と小樽を結ぶ鉄路の駅の一つになったことで、塩谷エリアの活性化が見込まれるところですが、塩谷は漁業のまちで、山側に所在する塩谷駅は現在も塩谷の市街地からはそれなりに距離があります。一例として、旧:塩谷村役場と塩谷駅は道路距離で1.4kmもありますが、塩谷駅によって住民の利便性は兎も角として山側のエリアの開拓に一定の役割を担うことになります。

 

まー、その間も忍路村に2つ目の戸長役場が置かれたり忍路の戸長役場に塩谷の戸長役場が統合されたり再度分離したりとゴタゴタしていたのは『小樽の最西端『蘭島』の歴史 ~明治・大正編~』で説明した通りですが、明治39年には忍路郡の4つの村が合併して小樽支庁に所属する二級町村として忍路郡塩谷村が誕生します。

明治39年頃の小樽

頻出の画像ですが、現在の小樽市域の当時の行政区の位置関係が分かりやすいので、また使わせて下さい。

これを見た上で、明治29年測量・明治42年部分修正の大日本帝国陸地測量部5万分の1地形図を見てみましょう。

明治29年の塩谷の地形図

塩谷の表記が旧字の『鹽』になっていますね。
○が塩谷村役場でその周りに小学校と郵便局、2つの寺院と3つの神社があります。やたらに寺社の数が多いですね。
塩谷駅は『しほや』と記載されており、その南側には丸山下と書かれています。塩谷と桃内の南側にある『丸山』のふもとという意味でしょう。

画像の右上には寅吉澤ツルカケ澤という地名が記載されており、このうち寅吉澤は現在もバス停や地区会館に名前が残っています。久保田寅吉という方が明治の初期に開拓をした沢というのが名前の由来だそうです。
ツルカケ澤については大正の地形図には『鶴掛』として記載されていますが、それ以降の記録は見つけられませんでした。また、前述の絃掛岩と読みは同じであるものの、関係性は不明です。
岬の先端にはホケ澗ホンメ岬との記載がありますが、後年の地形図を見るにホッケ澗ポン前という表記に変わったようです。
ホッケ澗は漢字で𩸽澗とも表記し、縄文時代の遺跡として『ホッケ澗遺跡』というものがあり、ホッケ澗式土器などというものもあるようです。地名の由来は『あるときホッケがたくさん獲れたというアイヌの伝説がある』というものですが、一方で昭和32年に塩谷村役場が発行した『忍路郡郷土史』によるとこの説は怪しい、との事。どう怪しいかと言いますと、いわゆる下ネタが由来なのではないか、という事なのでこの場では詳細にご説明出来かねます。忍路郡郷土史を読んでみて下さい。
もう一つの『ホンメ岬』≒『ポン前』ですが、おそらくはホンメ→ポンメー→ポン前、という風に転訛していったのかな、と考えています。
アイヌ語で『ポン』=『小さい』で『マエ』=『湾・岸』だそうですが、『ホンメ』という単語があった可能性もありますし、転訛している上に現在使われていない地名のようですから、詳細は分かりかねます。

 

さて、本筋に戻りましょう。
明治40年には前年に公布された鉄道国有法によって北海道鉄道は国有化、前年に既に国有化されていた北海道炭礦鉄道と併せて、現在の函館本線に比較的近いルートが取られることになり、路線名称も明治42年には国鉄函館本線に改められます。
明治41年には、塩谷尋常高等小学校の義務教育年限が尋常科6年制、高等科2年制に改められました。これは小学校令の改正による全国的な統一でしたが、それまで小学校の修業年限は○年または○年といった風に法律でも統一されておらず、学校によってまちまちであったものが、この時に統一されたのです。

明治43年には支庁の統合によって忍路郡塩谷村は小樽支庁から後志支庁に所属することになります。
本記事は若い方にもご覧頂いているようですから一応説明しますと、支庁(支庁)というのは現在の振興局・総合振興局にあたるもので、北海道では明治30年に置かれたのが始まりです。
北海道特有の制度という訳ではありませんが、特に面積が広大で町村が分散している北海道では重要な役割を占める役所でした。
その役割は現在も振興局・総合振興局に引き継がれており、例えば北章宅建の不動産業の許可である『宅地建物取引業』の免許は石狩振興局から発行されています。

 

さて、今回は小樽と余市を結ぶ小樽市西部、かつての忍路郡の中心地、塩谷エリアの明治時代についてご紹介しましたが、如何でしたでしょうか。

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細井 全

【参考文献】
◇塩谷村役場『忍路郡郷土史』昭和32年
◇竹内荘七『忍路郡塩谷村鮏漁場実測図』明治29年
◇須磨正敏『ヲショロ場所をめぐる人々』平成元年
◇小樽市役所『小樽市史 第1巻』(旧版)昭和18年
◇小樽市役所『小樽市史 第2巻』(旧版)昭和18年
◇小樽市役所『小樽市史 第3巻』(旧版)昭和19年
◇小樽市役所『小樽市史 第1巻』(新版)昭和33年
◇小樽市役所『小樽市史 第2巻』(新版)昭和36年
◇小樽市役所『小樽市史 第3巻』(新版)昭和56年
◇小樽市役所『小樽市史 第4巻』(新版)昭和56年
◇小樽市役所『小樽市史 第5巻』(新版)昭和56年
◇小樽市役所『小樽市史 第6巻』(新版)昭和56年
◇小樽市役所『小樽市史 第7巻 行政編(上)』(新版)平成5年
◇小樽市役所『小樽市史 第8巻 行政編(中)』(新版)平成6年
◇小樽市役所『小樽市史 第9巻 行政編(下)』(新版)平成7年
◇小樽市役所『小樽市史 第10巻 社会経済編』(新版)平成12年
◇小樽市役所『小樽市史 第10巻 文化編』(新版)平成12年
◇小樽市『未来のために=山田市政3期12年をふりかえって=』平成24年
◇大日本帝国陸地測量部五万分の一地形図『余市』明治29年測量、明治43年部分修正
◇内務省地理調査所二万五千分の一地形図『余市』昭和33年
◇国土地理院 航空写真各種
◇小樽観光大学校『おたる案内人 検定試験公式ガイドブック』平成18年
◇佐藤圭樹『小樽散歩案内』平成23年
◇永田方正『北海道蝦夷語地名解』明治24年
◇北海道ガス株式会社『北ガス小樽工場跡地の土壌調査結果と今後の対応策について』平成19年

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