2021.11.13郷土誌から読み解く地域歴史情報
旧・小樽内川⑤ ~今や失われた川の残滓『オタナイ沼』『オタネ浜』~
さて、現在の小樽市と札幌市の市境となった旧・小樽内川の流路や歴史についてご紹介して来ました。手稲山または奥手稲山から流れて来た旧・小樽内川は、新川へ合流して石狩湾に注ぐ訳ですが、今回は前回に引き続きその終末点から更に東側、元々の河口であったオタナイ沼、河口に架かっていた小樽内橋、そして石狩湾のうちこの周辺の浜辺を指すオタネ浜について紹介してゆきましょう。
毎度おなじみ、旧・小樽内川の推定流路図を示します。
前回は⑧小樽内橋と⑨オタナイ沼・オタネ浜の明治期から戦後、昭和中盤までを追いましたが、今回は昭和後期から平成、そして令和3年の現在までを追ってゆきます。
さて、それでは昭和40年代以降から話に戻ってゆきましょう。
右手前に小樽内川橋らしき影が写り込んでおり、奥には人家が数軒並んでいますから、小樽側から石狩側へ東方向へ撮影された写真ですね。
昭和45年頃から、石狩湾新港の開発計画に伴って、この周辺も含め現在の町名が新港や銭函4・5丁目となっている広いエリアが用地買収の対象となり、移転を迫られました。
農業関係者も漁業関係者もあまりゴネたりモメたりをしなかったようで、翌年には移転先に合意し、移転先の造成をもって昭和47年の秋~冬にかけて明渡しが完了したようです。
人々の移転先は地名を同じくする樽川ですが、花川南エリアと道道44号線:石狩手稲通を中心に向かい合う利便性の高いエリアです。
さて、移転が完了した昭和50年代中盤の航空写真を見てみると、建物が解体された跡地が見て取れますね。
同時期、昭和53年の国土地理院発行の2万5千分の1地形図を見てみましょう。
戦後の地形図はあまりごちゃごちゃと文字が書き込まれない傾向があり、この範囲内では『新川』『清川』といった記載もなくなってしまいます。(別の箇所にきちんと記載されています。)用地買収後という事もあって人家の記載もありません。昭和50年には、既に右岸が小樽市へ銭函村4丁目・銭函5丁目として割譲されている為、点線での境界表記も小樽市と札幌市の間だけとのものとなっています。
さて、こちらは昭和50年頃の『新川河口橋』の写真とされているものですが、『新川河口橋』という橋梁の記録は見当たりませんので、これはおそらく小樽内橋であったものと思われます。
原資料である『樽川百年史』は公的機関ではなく、樽川の地主さんの有志によって編纂されたもので、言葉を選ばずに言ってしまうと表記の正確性については、少し乱雑な部分があると言わざるを得ません。
前掲の写真と同じページに『新川橋』という写真が掲載されていますが、出版当時の『新川橋』はJRに近い、道道277号線:琴似・栄町通の橋梁である為、おそらくは小樽内橋の一つ上流に架けられた第一新川橋を指していると思われます。更にもう一つ上流の新川中央橋については、戦後間もなくまで新川橋と呼ばれていたようですが写真と現在の状況が合致しない為、定かではありません。
ただ、新川の河口に掛かっている橋といえば小樽内橋であることと、ある時期から小樽内橋は木造と鉄骨造のつぎはぎであった、という証言を見かける為、この継ぎ接ぎの『新川河口橋』を『小樽内橋』と考えています。
昭和60年にはオタナイ沼の南側に地元の有志によって『オタナイ発祥之碑』が建立されます。
詳細な事情は後述しますが、現在、この石碑にたどり着くのは非常に困難な状況にあります。
次に昭和60年前後の航空写真を示します。
撮影時期が雨の多い時期だったのか、新川がかなり茶色く濁っていますね。
昭和60年には右岸の銭函4丁目(旧・石狩町域)側が崩落したとの事ですが、航空写真の上では以降の年代のものも含めハッキリとは見て取れません。
新川河口付近は市街化調整区域といって、原則的に建物が建築出来ない=人が住むことが出来ないエリアとなっていますから、平成に入ってもしばらくの間、橋も復旧されず、宅地開発もされないまま手が触れられずにそのままの状態となっていました。
小樽内川橋は末期から平成初期のどこかの段階で通行止めの措置が取られ、山口緑地は平成7年から平成27年にかけて緑地として整備中であったものの、この周辺の状態はこの年代で固定されていったと言えるでしょう。
こちらは平成20年の航空写真ですが、小樽内橋とオタナイ沼の間に三角形の広場のようなものが見えます。
これは平成15年に設立されたNPO法人新川マリン会のボート・車両置き場となっています。
NPOを管轄する内閣府による情報公開によると、新川マリン会は海難事故防止の為のボランティア活動として救命訓練やゴミ拾いなどをやっているとの事です。かなりの台数のプレジャーボートや車両が保管されており、この付近でボートが使われている風景も稀に見かけます。
そして、平成28年には小樽内橋が解体が決定した旨の報道がなされます。
平成27年には解体の為の調査が実施されており、平成30年から3ヶ年の計画で着工したという報道ですが、工事完了の予定についてははっきりとした報道が見当たりませんでした。実態として本記事執筆時点の令和3年秋にはほぼ工事が完了しています。
現在、札幌市側からオタナイ沼へ通じる道は工事車両の通行の為、立入禁止となっています。平成29年度のNPO法人新川マリン会の事業報告書によると、『昨年度から一般の海水浴者やマリンジェット、釣り人等が入れなくなり、ゴミ等がなく、海岸沿いもあまりごみが有りませんでした』との事ですから、この通行止めは工事の着工によって実施されたもののようです。
工事が完了した事によって、この道路封鎖が解かれるのでしょうか。
現在公開分での最新年、令和2年の航空写真を見てみましょう。
Σ(゚Д゚;小樽内橋が太くなってるッ?!
前述の通り、航空写真の撮影当時には小樽内川が解体工事中な訳ですが、これまでにあった本来の小樽内橋の北側に、工事用の車両・重機が通行する仮橋が架けられた状態がこの写真です。
このような金属製の仮設橋が設置されていますが、この写真を撮影した令和3年初夏の段階で左岸・銭函3丁目側の設置部分は既に解体が始まっています。
こちらは令和3年秋の写真ですが、仮橋の解体も殆ど完了している状況です。
オタナイ沼やオタネ浜に出る為の新川右岸の道は工事の間、5年に渡って通行制限がかけられていた為、ここに至るには、北海道または小樽市などの行政の許可を受けるか、新川マリン会の会員の方に手助けを受けるかをしない限りは、東側の砂浜伝いに長距離を移動するほかなく、現地に至るのは非常に困難な状況にあります。
取材の為に先ほど紹介した『オタナイ発祥之碑』や今シリーズで通しでご紹介してきたオタナイ沼の状況を確認しようとかなりの困難を経て現地に赴きましたが、まず、現地にたどり着くのが一苦労な上に、現地には高さ2m近い葦藪・笹薮が広がっており、成人男性の背丈でもオタナイ沼を写真に納める事すら困難な状況です。
ざっくりとオタナイ発祥之碑の位置関係を示してみましょう。
新川右岸の道路は現在工事の為通行止めとなっている為、関係者の許可を得ない限りは東側のオタネ浜沿いの砂浜をかなり遠回りする他ありません。左岸側から新川河口を渡河することは、シュワルツェネッガー級のタフガイは別として、大変危険ですからやめましょう。
筆者も何とかオタナイ沼の近くまでは辿り着き、オタナイ発祥之碑まで約500m程度の距離まで達しましたが、流石に藪漕ぎを続けるのが危険で引き返さざるを得ませんでした。
藪の中を走れるようなオフロードバイクやバギーなどで藪に侵入してゆければ…とも考えましたが、藪の手前にはしっかりとバイク通行禁止の看板が掲示されていました。
もしかしたら、藪が育つ前の、冬~早春の時期であれば、現地に辿り着けるのかもしれませんね。
今シリーズでは、5回に渡って小樽の地名の由来となった川、旧・小樽内川=『小樽と札幌の境界線』≒滝の沢川≒星置川≒清川≒オタナイ沼の歴史を紹介して来ました。
『小樽』という地名の由来であったのに明治以前どころか、江戸以前の時点で既に『ヲタル』の中心地ではなくなってしまっていた小樽内川流域と、明治以後、新川の開削によって流路を大きく変えることとなった小樽内川の歴史は、非常に興味深いものだったかと思いますが、如何でしたでしょうか。
今回のシリーズは例外的に札幌市手稲区・小樽市・過去の石狩市域を横断的に紹介してゆく記事でした。
当記事は⼩樽・石狩エリアを中心に新しい不動産スキームを構築するイエステーション:北章宅建株式会社のスポンサードコンテンツです。
⼩樽・石狩エリアの不動産に関するご相談はイエステーション⼩樽・石狩・手稲の各店舗への依頼をお薦めします。
細井 全
【参考文献】
◇松浦武四郎『東西蝦夷山川地理取調図』万延元年 ※原本の著者表記は松浦”竹”四郎
◇手稲保健センター『手稲区ウォーキングマップ』平成30年
◇石狩市教育委員会『石狩市21世紀に伝える写真集』平成14年
◇樽川地主会『樽川百年史』昭和52年
◇樽川発祥之地記念編集委員会『たるかわの歩み』昭和61年
◇手稲郷土史研究会『発足十周年記念史 掘り伝える』平成28年
◇小樽カントリークラブ『銭函五拾年』昭和54年
◇堀 耕『銭函の話』平成5年
◇小樽郡朝里村役場『札樽国道小樽銭函間改良工事写真帖』昭和9年
◇財団法人北海道開発協会『石狩湾新港史』平成3年
◇小樽港湾建設事務所『石狩湾新港建設のあゆみ 第1船入港まで』昭和62年
◇小樽港湾建設事務所『写真集 小樽築港100年のあゆみ』平成9年
◇小樽市役所『小樽市史 第1巻』(旧版)昭和18年
◇小樽市役所『小樽市史 第2巻』(旧版)昭和18年
◇小樽市役所『小樽市史 第3巻』(旧版)昭和19年
◇小樽市役所『小樽市史 第1巻』(新版)昭和33年
◇小樽市役所『小樽市史 第2巻』(新版)昭和36年
◇小樽市役所『小樽市史 第3巻』(新版)昭和56年
◇小樽市役所『小樽市史 第4巻』(新版)昭和56年
◇小樽市役所『小樽市史 第5巻』(新版)昭和56年
◇小樽市役所『小樽市史 第6巻』(新版)昭和56年
◇小樽市役所『小樽市史 第7巻 行政編(上)』(新版)平成5年
◇小樽市役所『小樽市史 第8巻 行政編(中)』(新版)平成6年
◇小樽市役所『小樽市史 第9巻 行政編(下)』(新版)平成7年
◇小樽市役所『小樽市史 第10巻 社会経済編』(新版)平成12年
◇小樽市役所『小樽市史 第10巻 文化編』(新版)平成12年
◇小樽市『未来のために=山田市政3期12年をふりかえって=』平成24年
◇有限会社北海道新聞中販売所『小樽・朝里紀行』平成30年
◇小樽観光大学校『おたる案内人 検定試験公式ガイドブック』平成18年
◇佐藤圭樹『小樽散歩案内』平成23年
◇大日本帝国陸地測量部二十万分の一地形図『札幌』明治25年
◇大日本帝国陸地測量部五万分の一地形図『銭函』明治29年測量、明治42年部分修正
◇大日本帝国陸地測量部五万分の一地形図『小樽』明治29年測量、明治42年部分修正
◇大日本帝国陸地測量部二万五千分の一地形図『銭函』大正7年
◇内務省地理調査所二万五千分の一地形図『銭函』昭和31年
◇国土地理院二万五千分の一地形図『銭函』昭和53年
◇国土地理院 航空写真各種
◇札幌市『札幌市河川網図』平成24年
◇北海道建設新聞『30年間通行止めの橋を小樽市が4億円投じ解体へ-18年度から』平成28年3月24日
◇内閣府『NPO法人ポータルサイト 特定非営利活動法人新川マリン会』
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