2019.11.21郷土誌から読み解く地域歴史情報
かつて小樽駅だった南小樽駅周辺の歴史 ~大正・昭和・平成編~
さて、前回は明治期に現在の南小樽駅が開運町→住吉町→小樽という変遷を辿り、函館と札幌を結ぶ重要な中継地点としての地位を確立していった経緯を説明しました。
国有化当時の南小樽駅の名称は『小樽』駅、現在の小樽駅の名称は『中央小樽』駅でした。
(前回、現在の小樽駅については開業当初の『小樽中央』駅という名称を紹介しましたが、これも紆余曲折があって『中央小樽』駅へ変更されています。)
国有化による接続で南は函館へ、東は幌内(三笠)へ接続し、内海で天然の良港であったことや、明治期からの埋め立てや港湾整備によって小樽は北海道内で有数の都市となりました。(数的根拠のある資料では戦前は札幌よりは勝るものの函館の方が人口が多かったようです。)
さて、明治も後期になると小樽区では金融業が盛んになり各銀行に支店が色内付近、現在の小樽駅付近に林立し、『北のウォール街』と呼ばれるようになり、中心地は過去の高島郡の色内・稲穂地区に移っていました。
ここで大正5年発行の大日本帝国陸地測量部の2万5千分の1地形図を見てみましょう。
開運町の名前は既になく、海側は山ノ上町、山側は住ノ江町となっており、各種学校や郵便局、寺社など都市施設が充実していることが分かります。
画像中央上部には明治期の地形図と比較して埠頭が張り出しており、埋め立てが進んでいることが分かります。
そんな中で、やはり当時の『小樽駅』『中央小樽駅』の名称は非常に紛らわしいということがあり、大正9年には小樽駅が南小樽駅、中央小樽駅が小樽駅へ改称され現在の名称となりました。
その後、大正11年には小樽区は小樽市へ改組されます。
大正以降、昭和の初期に関してはアジア太平洋戦争の勃発のごたごたで、ほとんど資料が残されておらず、また、それ以上に都市の発展に注力するだけの経済的な余裕がなかったようで、北海道内のどの都市においてもさほどの発展はしない傾向にあります。
ここで、戦後昭和25年、内務省地理調査書発行の2万5千分の1地形図を紹介しましょう。
画像右上、海の上にまた新たな埋め立て地が現れます。
勝納川の河口に大きく張り出す形で設置された埋立地は現在の勝納埠頭にあたります。
明治末期から『鉄道院埋立予定地』として地図に記載されていたもので、大正~昭和初期にかけ、徐々に埋め立てられていったもののようです。
戦時下であっても・・・いや、戦時下であったからこそ、石炭や物資の運搬に必要な港湾の整備が行われたのでしょう。
こちらは昭和2年、北海道庁発行の『小樽港修築平面図』ですが、こちらには『鉄道院第一期計画』と記載されているほか、赤線で更に先の埋め立て計画も記載されています。
地図全体では現在の第一~第三埠頭、中央埠頭なども描かれており、それどころか現在、実際に実施されたよりもかなり大規模な埋め立て計画が立てられていたことが分かります。
昭和2年の段階ではあくまでも予定地という記載ですが、昭和7年に小樽港湾修築事務所から発行された『小樽港湾全図』では、ほとんど昭和25年の地形図と同様の範囲まで埋め立てが進んでいますが、線路の敷設はまだ済んでいないようです。
このように埋め立ては進んでゆきますが、南小樽駅は標高の高い位置に所在しており、港との接続・連携という意味では、海側を走る手宮線や明治後期に一つ札幌側に設置された小樽築港駅が主であって、物流拠点という側面はさほどなかったようです。
あくまでも旧市街の商業地や住宅地の為の駅という性格でしょう。
また、昭和3年には明治45年に設立した私立病院を小樽市が買取り、市立小樽病院を設置します。現在の小樽病院(当時は量徳小学校)の南東隣にあり、前掲の地形図にも病院の地図記号が描かれています。
この病院は手狭だという事で度々増改築がなされており、昭和28年に第一新館、昭和33年に第二新館がそれぞれ増築しますが、これでもまだ不便だという話がある上に戦後の財政難で工事の予算が確保出来ず、小樽市にとって市立病院の問題は現在に至るまで大きな悩みとなっているようです。
さて、この市立小樽病院ですが、十年以上に渡る改築計画が昭和43年にようやく実り、一部分の改築を行なって当時の医療体制に対応出来るよう刷新を加えられました。
その後平成に入り、当初明治45年に建築された小樽病院を利用してゆくことが難しくなったこともあり、平成26年には、本当に洒落にならないレベルで紆余曲折があったものの、2つの市立病院を統合する形で量徳小学校の跡地に新たな小樽市立病院が開院し、旧来の病院敷地は現在、第二駐車場として利用されています。
市立小樽病院の件については、政治の話や小樽市の財政の問題などあり、インターネット上にも、それ以外の媒体でも様々な言説が飛び交っていますが、本稿で触れるのはここまでにしておきましょう。
市立小樽病院の話題と時代は前後しますが昭和33年には、南小樽駅が明治期からの駅舎から現在のコンクリート造の駅舎へと建て替えられました。
今となっては築60年を経過する古びた駅舎ですが、当時は最新のコンクリート造建物だったのでしょう。
こちらは建築計画図面と建築後の図面です。
昭和39年には、明治期以来懸念となっていた小樽駅との間の高架化が完了します。
線路によって都市機能が分断されるというのは現在も問題となりますが、特に昭和30年代にはどの都市でも自動車の普及=モータリゼーションによって、踏切での事故なども多発する傾向にありました。
札幌では定山渓鉄道が同様の理由で廃止され、地下鉄南北線となったという経緯もあります。
この頃の小樽はまだ石炭を始めとした各種物資の積出港としての地位を失っておらず、都市基盤の整備にあたって小樽市や国が予算を付けやすい状況であったのでしょう。
この頃に市内中心部の高架化が進んでいなかったとしたら、昭和後半~平成にかけての小樽の観光都市化は実現出来なかったと言えるかもしれません。
昭和50年前後の航空写真では市立小樽病院が増改築によって形状が変わった他、勝納埠頭から更に北東側に埋め立てが進んだ様子が見て取れます。
JR北海道の業績不振などにより駅舎の更新は難しいかもしれませんが、南小樽駅では平成11年には自動改札機が、平成20年にはICカードのKitakaが導入されるなど、設備への更新は随時行われています。
前述の通り、昭和33年築の駅舎は既にかなり老朽化しており、周辺の市街も旧市街となっていた為、南小樽駅周辺の歴史は明治の慌ただしい経緯と比較して、大正以降はさほど動きのないものとなったようです。
しかしながら、前段で紹介した快速エアポートの他にも快速ニセコライナー、区間快速いしかりライナーなどの快速が停車する駅であり、平成に入ってからは分譲マンションも数件建設されています。
こちらは平成20年前後の航空写真ですが、やはり南小樽駅周辺にはさほど大きな変化はありません。(市立小樽病院が移転する前の写真です。)
勝納埠頭は更に埋め立てが進んでいますが、こちらは小樽築港エリアですから、南小樽エリアの変化という訳でもありません。
このように南小樽駅は他のJR快速停車駅より少し影は薄いかもしれませんが、明治期からの濃厚な歴史が積み重なった街であり、札幌や新千歳空港へ向かうにも、余市、ニセコ方面に向かうにも適した立地です。
また、北海道新幹線の開通に伴って設置される新小樽駅はJR函館本線よりも山側を走り、勝納川上流にある奥沢水源地の付近に設置される予定ですが、在来線の最寄り駅は直線距離で3kmあるとはいえ、南小樽駅となります。
そういった意味で、来年で140年周年を迎える南小樽駅が、ますます発展してゆくことを願って已みません。
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細井 全
【参考文献】
◇林 顕三『北海紀⾏ 付録』明治7年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第1巻』(旧版)昭和18年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第2巻』(旧版)昭和18年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第3巻』(旧版)昭和19年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第1巻』(新版)昭和33年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第2巻』(新版)昭和36年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第3巻』(新版)昭和56年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第4巻』(新版)昭和56年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第5巻』(新版)昭和56年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第6巻』(新版)昭和56年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第7巻 ⾏政編(上)』(新版)平成5年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第8巻 ⾏政編(中)』(新版)平成6年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第9巻 ⾏政編(下)』(新版)平成7年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第10巻 社会経済編』(新版)平成12年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第10巻 文化編』(新版)平成12年
◇⼩樽市『未来のために=⼭⽥市政3期12年をふりかえって=』平成24
年
◇大日本帝国陸地測量部五万分の一地形図『小樽』明治29年測量、明治42年部分修正
◇大日本帝国陸地測量部二万五千分の一地形図『小樽東部』大正5年
◇内務省地理調査所二万五千分の一地形図『小樽東部』昭和25年
◇国土地理院 航空写真各種
◇北海道庁『小樽港修築平面図』昭和2年
◇小樽市港湾修築事務所『小樽港湾全図』昭和7年
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