2021.09.20郷土誌から読み解く地域歴史情報

美唄市北部、『茶志内』の歴史 -戦後・平成編-

さて、ここまで明治編大正・戦前編と続いた茶志内エリアの歴史について紹介して来ましたが、今回は最終回、戦後から現代までの経緯を紹介してゆきましょう。
早速ですが昭和23年に内務省地理調査所が発行した地形図を見てみましょう。

内務省地理調査所五万分の一地形図 昭和23年

うーん、大正5年発行の地形図と殆ど違いが見つけられません。
もしかしたら、戦後のゴタゴタもあって、郊外のエリアでは大きな違いがなければ訂正を書き加えなかったのかもしれません。
何より、大正8年には竣工しているはずの北海幹線用水路が見当たらないのが不自然に感じられます。

 

昭和27年には、前回の最後で紹介した三菱鉱業茶志内炭礦からの出炭に利用する為の専用鉄道が開業します。石炭の輸送が主目的でしたが、通勤、通学等の旅客輸送も同時に行なわれていました。

その頃、昭和30年代後半の国土地理院が公開する航空写真を見てみましょう。

航空写真1961年~1964年

画像中心付近の茶志内駅から、北東方向へまっすぐ右上に伸びている白線が、三菱鉱業茶志内炭礦専用鉄道です。
鉄道が廃線となった現在は公道として利用されていますが、道路茶志内について調べ始めた当初、農地の区画を無視して直線で走っているこの斜めの道路の由来は何なのか、まったく分かっていなかったのですが、元々は鉄道路線だったのですね。
画像中央からやや右側を南北に走っている黒い線は先に触れた北海道幹線用水路です。これだけの構造物が地形図に記されていないというのは、やはり不自然ですよね。

 

昭和39年には茶志内駅の駅舎が改築され、現在も利用されている駅舎となりました。

昭和39年の茶志内駅

木造平屋建てのクラシックな駅舎ですね。

 

石炭から石油へのエネルギー革命によって石炭の需要が低下し、昭和42年には三菱鉱業茶志内炭礦専用鉄道が廃止されます。
また、昭和43年には茶志内駅には跨線橋が設置されます。

茶志内駅 駅内

同年に国鉄函館本線の小樽駅~滝川駅が電化されており、鉄道の高速化に伴って、特急電車などの安全性を確保する為に跨線橋の設置が必要だったのでしょう。
同時期、昭和45年の国道12号線沿いの茶志内商店街を見てみましょう。

茶志内商店街(昭和45年)

大正期の写真と異なり、二階建ての建物が増えているほか、乗用車やトラックが多く走っています。目視できる範囲で10台前後の車両を”多く”と表現していますが、現代では自動車の速度が上がっているので、茶志内でここまで車両が密集している風景はまだ目の当たりにしていません。
道路はアスファルト舗装なのか、砂利舗装なのかは写真からは分かりませんが、時期的に考えれば砂利舗装でしょう。

 

昭和50年前後の航空写真を見てみましょう。

航空写真1974年~1978年

カラーになったことで、土地利用の状況がよく分かるようになりましたね。
この航空写真は晩夏~秋に撮影されたようですが、やはり茶志内地区では水稲耕作が主体であったことが分かります。
国道12号線沿いの市街化も進んでいますね。

 

さて、昭和48年には北海道の計画に基づいて北海道土地開発公社による空知中核工業団地の開発が始まります。

空知中核工業団地

この周辺は地形図によると湿地となっていますから、一面に広がっていた芦原をコンバインで刈り取っている風景なのでしょう。

空知団地

団地の位置

空知中核団地は美唄市の北部である茶志内と隣接自治体の奈井江町に跨る大規模工業団地であり、札幌と旭川の中間という特性から、利便性の高さをウリにしています。

 

空知中核団地も高速道路でのトラック輸送が前提となっているように、時代の流れは既にモータリゼーションに移っており、昭和59年には茶志内駅で荷物の取り扱いが中止となります。(ただし、荷物ではなく”貨物”の扱いはこの時点では続いています。)

 

次の年代、昭和62年に国土地理院が発行した地形図を見てみましょう。

国土地理院

空知中核団地は画像の中央右上にやや見切れる程度で、画像内には収まっていません。道路と農業用水路が充実した田園地帯という印象ですね。

 

時代は昭和から平成に移り、バブル崩壊もあって郊外では停滞が続いてしまいますが、平成9年には時代の流れもあって茶志内駅が無人化

茶志内駅が無人化

茶志内駅が無人化

ちなみに、無人となった茶志内駅には何故か月刊コロコロコミックの2021年1月号が2冊もあり、田口雅之氏によってヤングチャンピオンに連載された問題作、『バトル・ロワイアル』漫画版は、なぜか最終15巻の寸前の13巻までが揃っています。うーん・・・

※駅舎内の状況は令和3年夏時点の調査に基づくものです。

 

平成14年には”貨物”の取り扱いも終了し、茶志内駅は旅客だけの各駅停車駅となり、現在も静かに佇んでいます。

その後、平成19年以降の航空写真を見てみましょうか。

国土地理院2007年

概ね、昭和60年代の航空写真から順当に発展していったようですね。
茶志内エリアは交通面での利便性もある中で郊外の農村地区として発展してゆく訳ですが、これがここ最近評判の『美味しい北海道米』に寄与していると言えるでしょう。
今後も日本の穀倉地帯として立派な役割を果たしてくれるでしょう。

 

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細井 全

【参考文献】
◇美唄市役所『美唄市史』昭和45年
◇美唄市『美唄市百年史 通史編』平成3年
◇美唄市『美唄市百年史 資料編』平成3年
◇美唄市『美唄由来雑記』平成13年
◇美唄市『写真で見る美唄の20世紀』平成13年
◇美唄市『美唄市統計書 平成27(2015)年版』平成28年
◇北海道屯田倶楽部『歴史写真集屯田兵』平成元年
◇吉田初三郎『美唄市鳥観図』昭和27年
◇弥永 芳子『北海道の鳥瞰図』平成23年
◇大日本帝国陸地測量部五万分の一地形図『奈井江』明治29年測量、明治42年部分修正
◇大日本帝国陸地測量部五万分の一地形図『砂川』大正5年
◇内務省地理調査所五万分の一地形図『砂川』昭和23年
◇国土地理院五万分の一地形図『砂川』昭和62年
◇炭鉄港推進協議会『炭鉄港 美唄 歴史をめぐる旅物語』令和元年

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美唄市北部、『茶志内』の歴史 -戦後・平成編-

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