2021.06.18地域歴史情報

江別市の鉄道の歴史~江別市の発展を支えた軌跡~

江別市は札幌市と隣接しており、札幌北部のベッドタウンとして人気です。
電車なら、江別駅から札幌中心地まで約20分という近さ。札幌市への通勤や近距離移動に最適な移動手段となっています。また、江別市は教育施設も充実しているため、通学にも電車が多く使われています。
そんな「鉄道」が、実は江別市の発展に大きく関わっていることをご存知でしたか?
今回の記事では、江別市の歴史を支えてきた鉄道の軌跡をご紹介します。

かつては多くの路線があった〝鉄道の町″

現在、江別市内を走る鉄道は「函館本線(北海道旅客鉄道路線)」のみですが、函館本線が1882年に幌内鉄道として開通したのを皮切りに、多くの鉄道路線が存在していました。

人車軌道(江別川線・石狩川線)

明治時代、石狩川と千歳川が合流する江別市は、船を使って物資を運ぶことが主流でした。その荷揚げ場から数百メートル離れた函館本線まで、荷物を載せた貨車を人や馬が引いて運びました。これを「人車軌道」といい、千歳川(江別川)沿いに「江別川線」が、石狩川沿いに「石狩川線」が敷設されていました。

江当軌道

石狩川の対岸には、江別と近隣の当別町を結ぶ「江当軌道」がありました。人や物資を、江別経由で札幌などの大きな町に一気に運ぶ目的で作られた鉄道です。2つの町の間には5駅あり、11.5kmの距離を、所要時間50分、1日4往復の列車が走っていました。
しかし、経営は赤字が続き、わずか10年ほどで廃線となってしまいました。

夕張鉄道

1926年、事業用資材や石炭を運搬する目的で、夕張鉄道(株)の私鉄「夕張鉄道」が開通しました。当時は栗山~新夕張(のちの夕張本町)間で輸送を行っていましたが、1930年には野幌駅~夕張市を結ぶ全線が開通しました。
夕張鉄道は旅客サービスにも力を入れており、1952年にはバス路線の運航が開始され、鉄道+バスの複合輸送により札幌への乗り入れを実現しましたが、バス路線の発達やマイカーの普及により、1975年には全線で旅客・貨物輸送が廃止されました。現在は「きらら街道」という名の道路として整備されています。

専用線

「専用線」は国鉄やJR、私鉄といった鉄道ではなく、工場への引き込み線を表します。江別市内には、函館本線から枝分かれする専用線がありました。それが「北電江別火力発電所専用線」と「王子製紙江別工場専用線」です。
「北電江別火力発電所専用線」は、火力発電所に石炭を運び入れるための発電所専用線として開通しました。発電所の閉鎖に伴い廃止されましたが、56年という長きに渡って活用されていました。現在は、江別蔦屋書店の裏にある「四季のみち」という散歩道になっており、当時走っていたディーゼル機関車と貨車が保存されています。
「王子製紙江別工場専用線」は、富士製紙工場(現在の王子エフテックス)へと敷かれた専用線です。こちらも79年という長い期間、蒸気機関車が走っていました。
同様に、夕張鉄道からもいくつかの専用線が敷かれており、様々な産業を支えてきました。

幻の路線計画「札幌急行鉄道」

鉄道路線により発展してきた江別町。昭和30年代には、更なる飛躍を目指し「ある計画」が立てられており、実現していたら未来が大きく変わっていたであろうと言われています。
その計画とは、札幌と江別を結ぶ私鉄「札幌急行鉄道」の開通です。夕張鉄道の上江別駅から分岐して、江別~雁来~豊平川を経由し、大通りの札幌三越前まで鉄道を通すというものでした。
この計画は、当時の東急会長で、全国各地に鉄道を所有していた実業家の五島慶太氏が進めており、自身が買収していた定山渓鉄道とも繋いで、札幌に一大私鉄網を作るという壮大なものでしたが、彼の突然の死によって撤退となってしまいました。

鉄路に触れる江別散策

こうして、最初に作られた函館本線が残るという現在の形となりましたが、江別市が発展していった背景には、いくつもの細かな路線の開通がありました。
江別市の町並みには、今も線路の通った道路や、その面影を感じることのできる景色が至る所にあります。
ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。

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江別店 寺杣 友紀出身は和歌山県ですが、生まれは札幌です。前職は自動車の営業をしておりました。不動産業界は全くの未経験で不慣れなことだらけですが、早く仕事を覚えてお客様のお役に立てれるよう努めます。精一杯頑張りますので宜しくお願い致します。

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