2020.05.07地域歴史情報

石狩市の成り立ちと歴史 ~石狩市は大正・戦後を経てどのように現代に至ったのか?~

上空から見る川と海
さて、前回は現在の石狩市はかつて石狩郡、厚田郡、浜益郡の3つの郡に分かれており、明治初期には3郡で29、うち石狩郡だけでも13もの町村があったというお話をしました。
それらの町村は明治35年と明治40年の相次ぐ合併によって石狩郡石狩町、厚⽥郡厚⽥村、浜益郡浜益村の3つの町村にまで集約された訳です。

 

また、明治初期の当時は石狩川の河口部分…現在でいうところの親船町の周辺が石狩郡を含む空知地方の行政の中心的役割を果たしていました。明治後期には空知の中心地として別途岩見沢が発展し、明治30年には空知支庁が置かれますが、石狩町はその後も厚田郡と浜益郡の3郡の中心地であり、また札幌近郊の水運・漁業の中枢としての役割を担いました。

石狩町旧役場

また、他の周辺エリアのお話をしておきますと 当時の札幌はと言えば現在の札幌市中心部にあたる札幌区を中心として『札幌郡』があり、ここには現在の札幌市各区を構成する豊平村、白石村、琴似村、手稲村などの他、現在の江別市、北広島市も札幌郡に含まれていました。
小樽に関しては明治期に大規模な町村の併合を経て小樽区を中心とした小樽郡が全国的な港湾として後志エリアの経済の中心地となっていました。道内で産出された石炭を全国に運ぶ積出港でもあり、樺太との交易などでも栄えていたそうです。
現在の石狩市は札幌市のベッドタウンというイメージも強いのですが、そもそもの成り立ちとして、札幌や小樽とは別の地区として成立してきたという側面は重要な観点ですから、覚えておきましょう。(江別や北広島は前述の通り、札幌郡に属していた経緯がありますから、石狩とは少し成立が異なります。)

 

明治40年頃の石狩町
そんな石狩エリアについて前回は明治期の大再編を経た訳で、今回はその後の経緯を紹介する回なのですが・・・ええと、なんと大正・戦前において石狩には特に大きな出来事は起こっていません。
参考文献でもある平成15年に石狩市が発行した『石狩市年表:石狩市史/資料編1』を通読しても激動の世界情勢に反して、商工業の許認可に関する事情のみが記載されているのみで、石狩で起こった大きな事件ということもなく、漁業や農業や酪農、畜産、そして鉱石の算出などについての事務的なデータが羅列されているのみです。

ちなみにこの資料、『資料編1』という割に2以降の巻も出ていませんし、他の○○編もありません。郷土史の編纂というのは多くの予算がかかるものですから、バブル崩壊以後には積極的に出版されない傾向にありますが、昭和47年から平成9年にかけて出版された『石狩町誌』の内容も随分古くなってきてしまっていますから、なんとか刊行を再開して欲しいものですが…
このインターネット時代に、紙媒体の書籍どころか電子書籍でも読む方は限られている上に、郷土史の編纂の担い手である教育委員会や地域の郷土史家もどんどん減っている状況ですから、なかなか難しいのでしょうね。

そのような中で、大正から戦前における石狩町にとっての唯一の大きなニュースと言えば、『生振捷水路』(おやふるしょうすいろ)の着工と竣工でしょうか。
石狩エリアを流れる『石狩川』は現在、信濃川、利根川に次ぐ日本で3番目に長い河川とされています。
かつての石狩川は大きく曲がりくねった川幅の広い河川で、たびたび氾濫によって周辺の農地や民家に被害を与えていました。

水害に見舞われる農地
夏季水害に見舞われてた、と言いますが、周辺は平地で風が強く、雪が多い為に現在でも冬期は公道の一部が通行止めになる生振エリアで、夏も水浸しというのでは生活がままなりません。
これを軽減しようと流域では河川整備が試みられていたものの抜本的な解決には至らず、ついに河川の蛇行を直線化、ショートカットする水路『捷水路』の工事に着手されます。
北海道開発局によると、これが北海道初の本格的治水事業であったとの事です。
石狩町の水路
生振以外でも石狩川の各地でショートカット化され、信濃川についても同様の工事がされた為、先ほど示した現在の河川の全長順位は明治・大正期で大きく入れ替わったと言われており、一説ではかつて石狩川は日本一長い河川であったという話もあります。
これは大正7年に着工し、昭和6年に竣工するまで、なんと14年を要した大工事であったのです。
上空から見た石狩川

これによって地図も書き換わることとなり、石狩川の本流から切り離された蛇行部分は茨戸川真勲別川になっています。
石狩茨戸案内
さて、戦中戦後のゴタゴタの中では、どの地域も経済的に停滞し、インフラの開発も進まなくなる訳ですが、上の昭和初期の鳥観図を見てみましょう。
ちなみに石狩町史から引用したこちらの鳥観図『石狩茨戸案内』は大正~昭和に全国各地の鳥観図を描いた吉田初三郎氏によるものと思われます。多くの鳥観図が各地の図書館のデジタルライブラリ―などで紹介されていますが、こちらについては現在のところウェブ上では見当たりません。
前回の記事からも紹介している通り石狩のかつての中心地は石狩川左岸河口・・・現在の親船町周辺エリアでした。
ごく狭い範囲に石狩市本町を始めとした10町の町名があることからも分かりますが、鳥観図を見ると河口の中心部以外に何もない事が分かりますね。(厳密に言えば花畔にもわずかに集落が描かれていますね。右岸の八幡町は10町に含まれる中心エリアです。)

さて、戦後早々はこのような状態であった訳ですが、昭和40年頃から、石狩に大きな転換が起こります。
石狩川と街並み
石狩川河口のごく狭いエリアと、それまで花畔村・樽川村であった札幌に隣接する広大な農地のエリアを有する石狩町では、それまでは漁業と農業(畑作だけではなく酪農も含まれます)が主産業でしたが、そのどちらも、昭和40年代以降、限界が見えていました。
また、石狩川河口のかつての中心地は現在の整備された道路であっても札幌市中心部から車で40分かかりますし、はっきり言ってしまえば岬の端のどんづまりの立地で、交通の便が悪い訳です。
また、昭和40年代といえば昭和47年開催の札幌オリンピックに向けた札幌圏の発展が著しい時期であり、それに平行して住宅不足による札幌近郊の自治体-石狩市、江別市、北広島市など-へのベッドタウン≒新興住宅団地の造成や、郊外地への産業拠点の設置が広がっていました。

 

そうした動きのなかで石狩に大きな変化が2つあります。
それが『花川地区のニュータウン開発』石狩新港の整備開発』です。

花畔団地空撮

昭和40年には民間のディベロッパー、内外緑地株式会社により『新札幌団地』が分譲開始され、そして昭和59年には北海道住宅供給公社が主導し『花畔団地』の区画整理組合が発足し、昭和63年から平成12年にかけて開発・分譲されました。
八幡ニュータウン資料

旧花川町エリア=花川地区がベッドタウンとして開発されるに伴い、昭和51年には従来それぞれ『石狩町字樽川村○○番地』『石狩町字花畔村○○番地』であった町名が現在の『花川南』『花川北』条丁目への町名変更がされました。
この町名変更については番地表示では不便であることから住民からの陳情があったことによるそうですがニュータウンに住んでいるのに住所が『村』では・・・という住民感情もあったのかもしれませんね。

さて、もう一つの転換点、 石狩新港はと言いますと、昭和41年に第3期北海道総合開発計画が閣議決定されて国の事業として整備が決定し、昭和48年には重要港湾に指定され整備が進んでゆきます。
昭和50年にはそれに合わせて石狩町の一部が小樽市へ割譲され、現在の小樽市銭函4丁目、5丁目となります。

昭和後期の石狩町の地図
地図左下、南東のエリアがえぐれているのが分かるでしょうか。
これが小樽市へ割譲された部分です。

各エリアの詳細については、また別の機会を設けて紹介出来るかと思いますが、⽯狩町ではこのように昭和後期にベッドタウン化と⽯狩新港の開発が進んでゆきます。
そして、平成5年には石狩町役場が親船町から花畔へ移転され、⽯狩町は平成8年に晴れて石狩市へと昇格。
北海道住宅供給公社の主導による⼟地区画整理事業、花畔団地にそびえる巨⼤なサイコロのような未来的なデザインの庁舎は現在も⽯狩市役所として利⽤されています。

現石狩市役所

そして、平成17年には今回はあまり触れられなかった厚田郡厚田村、浜益郡浜益村を編入して、石狩市は現在の市域となります。

このように、石狩はかつて海運と漁業の中心地として、最も大きな範囲では空知地方全域の中心地であったものが、時代の移り変わりによって不便な立地となり、戦後には自動車の普及と発展=モータリゼーションによって、かつての花川村エリアを中心として、花川南・北というベッドタウンを形成し、また石狩新港は近代的な港湾として札幌圏・北海道のインフラ・物流を支えています。

旧厚⽥郡・浜益郡エリアを含め、石狩市内各地の詳細については別途紹介する機会を持てればと思いますが、石狩市がどのように形成されていったのか、まとまり良くご説明できたのではないかと思います。

当記事は石狩エリアでインターネットに掲載されていない物件情報や、地域ならではの不動産の売却・購⼊・賃貸・管理に関するノウハウを有するイエステーション:北章宅建株式会社のスポンサードコンテンツです。

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細井 全

【参考文献】
◇石狩町『石狩町史 上巻』昭和47年
◇石狩町『石狩町史 中巻一』昭和60年
◇石狩町『石狩町史 中巻二』平成3年
◇石狩市『石狩町史 下巻』平成9年
◇石狩市『石狩市年表:石狩市史/資料編1』平成15年
◇石狩市『石狩ファイル』各号
◇厚田村『厚田村史』昭和44年
◇浜益村『浜益村史』昭和55年

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