2022.09.09郷土誌から読み解く地域歴史情報
札幌冬季オリンピック後、酪農地帯から住宅街へ変貌した『樽川』の昭和・平成
さて、札幌市に隣接する利便性の高いエリアとして注目されている『樽川』エリアは、実は明治以来戦後しばらくまで、乳牛を肥育する酪農地帯であったことは前回以前紹介してきた通りです。
時代が下って昭和40年代になると、旧・樽川村の海側は港湾の整備…いわゆる石狩湾新港の計画の一環として整備が進められてゆきます。
その中で、『旧・小樽内川⑤ ~今や失われた川の残滓『オタナイ沼』『オタネ浜』~』でご紹介したように、特に現在の新川河口付近にあった集落や、他にも海の近くに住まっていた人々が、現在の樽川エリアの造成地を代替として補償されることになり、札幌冬季オリンピックが開催された昭和47年に移転を完了しました。
その頃には隣接する花川南エリアが既に内外緑地株式会社によって『新札幌団地』として開発・分譲が進んでいたことは『戦後、『花川』エリアが農村から石狩の中心となった経緯』で紹介した通りですから、ニュータウンに住める、という意味において、移転された方々にとってもさほど悪い話ではなかったのではないでしょうか。
昭和47年には樽川神社も現在地:石狩市樽川332番地に移転して社殿が建替えられ、併せて樽川村移転之碑も建立されました。
こういった宅地開発に伴って、かつては酪農が産業の中心であった樽川・花川のエリアでも、徐々に離農する方が増えてゆきます。
札幌冬季オリンピックの2年後、昭和49年には集乳所であった樽川コールドステーションが閉鎖することとなります。北海道が最も好景気に沸いていた頃ですね。
産業構造の転換もそうですが、土地神話まっさかりの時期で、北海道各地で『将来宅地化して値上がりする』などという期待から、原野商法も横行していた時代です。個人的な印象としては、北海道での原野商法は昭和30年代後半~昭和50年代に活発に行われていた印象がありますが、実際に農村であった樽川村が10年足らずでベッドタウンになるなど、都市化が著しかった当時においては、どんな山の中でも、どんな不便な土地でも、いつかは開発されるという幻想が一定のリアリティを持っていたのではないかと認識しています。
それでは海側の集落の移転が完了し、酪農戸数が減少した頃、昭和50年前後の航空写真を見てみましょう。
前述の通り、『南線』より南東側に位置する現在の花川南-当時はまだ樽川村の一部ですが―の『新札幌団地』がいち早く開発され、細かく区割りされて分譲されていることがよく分かります。
また、現在の樽川3条・4条・8条の一部についても、やや分譲が進んでいることがわかりますが、まだまだ飛び地が多く、新札幌団地と比較すると市街化は進んでいません。ここで『現在の』という枕詞が付くのは、当時はまだ条丁目が付されておらず、樽川村○○番地であった為です。
同時期、昭和52年版の国土地理院地形図も比べてみましょう。
住宅の戸数で言えば現在の樽川3条がダントツで、あとは4条・8条が多少宅地化したのかな、という程度ですね。現在も条丁目が付されていない番地地区=市街化調整区域は勿論この時点でも宅地化されておらず、また、新港西・手稲区前田もほとんど開発が進んでいません。
昭和52年発行の『樽川百年史』に掲載の航空写真、特にキャプションは記載されていませんが、おおよそ昭和50年代の写真を紹介します。
画像手前の左右に広がる防風林は旧・樽川村と旧・花畔村の境界である石狩防風林、画像中央下から右上に延びる道路はいわゆる南線ですね、画像の中央左側付近の住宅は現在の樽川3条・4条ですね。そして、画像の縦中央付近にあるのは手稲区前田と樽川の境界付近にある防風林、そして画像右上は海付近、現在の新港西や小樽市銭函です。
現在と比べるとかなり住宅がまばらで、また、現在は倉庫街となっている新港西のエリアはまだ手付かずの状態となっています。
可能な限り同様のアングルでGoogleEarthで作成した画像と比較してみましょう。
画像右側の新港西の発展が著しいですが、その件についてはいずれ『石狩新港』を紹介する際に触れることにしましょう。また、現在、樽川と新川西の間には防風林のような緩衝帯がありますが、このような背の高い林は昭和50年頃の写真では見られません。
何故、下線までしてこの緩衝帯の存在を強調するかと言うと、北海道新聞を購読している方にしか分からないかもしれませんが、令和4年、この林に希少植物であるオオバナノエンレイソウが群生しており、オロロンライン≒道道225号線の整備事業によって、その群生地に悪影響が出る為、保護が必要であるというような報道がなされました。
そういった報道があると、希少種があるという事はずっと残されてきた原生林なのかな?と思ってしまいますが、実はそうではなく、近代の都市整備によって生物が生育しやすい環境が形成される結果になる場合もあるという事です。
余談はさておき、次は昭和末期、昭和60年前後の航空写真を見てゆきましょう。
青文字で『手稲区前田』と記載した部分には前田森林公園の整備が進んでいます。札幌市の都市公園である前田森林公園は昭和57年から整備が開始され、昭和62年に開園するので、この航空写真の頃は、ちょうど工事が進んでいる頃のようです。
肝心の樽川はというと、住宅はもちろん増えているのですが、さほど変わり映えしません。条丁目が付されていない市街化調整区域のエリアで、建設業や中古車販売業のプレハブや倉庫が少し増えているように見えますね。
昭和57年には樽川村が開村100年を迎え、例によって樽川神社の境内に樽川村開村百年碑が建立されました。
昭和60年には新港西2丁目784番地に樽川公園が設置され、そこに樽川発祥之地という石碑が建立されました。住所的には新港西なのですが、本稿の参考文献とした『たるかわの歩み』の著者が樽川発祥之地記念編集委員会なので、ここで触れることにします。
写真がモノクロだからかもしれませんが、建立当初は荒涼とした風景に見えてしまいます。一方、現在の樽川公園はよく整備された郊外の公園といった風で、野球場などが備わっており、時代の経過のせいか少し雰囲気が和らいだように感じます。
そして時代は平成に移ります。
この時点で樽川エリアは『石狩町樽川○○○番地』という住所表記であった訳ですが、平成に入ってから次々と『条丁目』が設定され、市政施行以降は『石狩市樽川○条○丁目○○番地』という表記になってゆきます。
石狩市から教えてもらった内容をざっと時系列順に記載してゆきましょう。
平成7年3月1日 樽川7条1丁目、樽川7条3丁目指定(一部)。
平成8年2月28日 樽川6条1丁目~樽川6条3丁目、樽川7条1丁目~樽川7条3丁目指定。
平成8年9月1日 石狩町が市政施行により石狩市へ昇格。
平成9年2月28日 樽川5条1丁目~樽川5条3丁目指定。
平成10年2月17日 樽川8条3丁目、樽川9条1丁目、樽川9条2丁目指定(一部)。
平成10年5月12日 樽川8条3丁目、樽川9条1丁目、樽川9条2丁目指定(一部)。※重複記載ではありません。
平成10年11月1日 樽川8条3丁目、樽川9条3丁目指定(一部)。
平成11年9月3日 樽川9条3丁目指定。
平成14年12月1日 樽川3条1丁目~3条3丁目、樽川4条1丁目~樽川4条3丁目指定。
平成24年12月1日 樽川8条1丁目、樽川8条2丁目指定。
シリーズの最初にご紹介したように、樽川は3~9条があり、1・2・10条は欠番となっていますが、石狩市への調査を行なって驚いたのが、指定の順番です。
ここまででご紹介して来た通り、昭和中期から市街化が進んでいたのは樽川3・4条の周辺であったように見えるのですが、その周辺は平成14年まで条丁目が指定されず、一方で真っ先に指定されたのは前掲の昭和60年前後の航空写真ではほとんど建物が見当たらない樽川7条というのですから、正直、不自然さを感じないといえば嘘になります…が、まぁ、行政にも色々あるんでしょう。
それでは、平成20年時点の航空写真を見てみましょう。
新しい写真なだけあって画像が鮮明ですね。…とはいえ、本稿執筆時点から14年も前な訳で、現在とは少し状況が異なります。この後紹介する後日の航空写真との一番の違いは樽川5条の一帯が空き地となっている点でしょう。…既に平成9年には町名変更されているのですが…
それでは最新年度、令和2年の航空写真と見比べてみましょう。
10年ちょっとの間で樽川5条が一気に宅地造成され、他のエリアの住宅の密度も増しました。
『欠番が3つ?!未来あるエリア『樽川』の秘密』でも紹介した通り、樽川エリアは札幌市はもちろん、ベッドタウンとして益々人気を増している花川エリアにも隣接し、将来的に拡張の余地のある期待性の高いエリアです。
現時点では将来において、いつ、樽川1条・樽川2条・樽川10条という町名が誕生するのかは未知数でありますが、個人的にはそれらの条はもちろんのこと、いずれ4丁目、5丁目と樽川エリアが広がってゆくことを夢見ています。
原野商法を生んでしまった土地神話のようになっては本末転倒ですが、街の未来を信じることも、ある程度は大切なことなのではないかと思う次第です。
当記事は石狩エリアで不動産に売却・購⼊・賃貸・管理に関する幅広い業務を手掛けるイエステーション:北章宅建株式会社のスポンサードコンテンツです。
石狩エリアの不動産に関するご相談はイエステーション⼩樽・余市・手稲・⽯狩の各店舗への依頼をお薦めします。
細井 全
【参考文献】
◇石狩市教育委員会『石狩市21世紀に伝える写真集』平成14年
◇樽川地主会『樽川百年史』昭和52年
◇財団法人北海道開発協会『石狩湾新港史』平成3年
◇樽川発祥之地記念編集委員会『たるかわの歩み』昭和61年
◇小樽港湾建設事務所『石狩湾新港建設のあゆみ 第1船入港まで』昭和62年
◇小樽港湾建設事務所『写真集 小樽築港100年のあゆみ』平成9年
◇小樽観光大学校『おたる案内人 検定試験公式ガイドブック』平成18年
◇花川南連合町内会『流歴 花川南連合町内会』平成14年
◇石狩市花畔市街土地区画整理組合『石狩市花畔市街土地整理事業完成記念誌』平成12年
◇花畔開村百年記念行事協賛会『花畔の百年』出版年不詳
◇佐藤圭樹『小樽散歩案内』平成23年
◇明治製菓『明治製菓株式会社二十年史 : 創立二十周年記念』昭和11年
◇明治乳業『明治乳業50年史』昭和44年
◇石狩町『石狩町史 上巻』昭和47年
◇石狩町『石狩町史 中巻一』昭和60年
◇石狩町『石狩町史 中巻二』平成3年
◇石狩市『石狩町史 下巻』平成9年
◇石狩市『石狩市年表:石狩市史/資料編1』平成15年
◇石狩市『石狩ファイル』各号
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