2021.10.01郷土誌から読み解く地域歴史情報

旧・小樽内川① ~誰も教えてくれない、小樽の由来となった川の歴史~

さて、長らく小樽の歴史を紹介して来ましたが、そも、『小樽』の由来とは何か?と言いますと、実はこれがまた難しい。

風車

『小樽』の地名の由来はオタ・オル・ナイ=砂浜の中の川であるというのが定説ですが、それが指すこととなった場所は現在の小樽駅よりもずっと南東側、札幌寄りであったと言われています。
以前、『小樽駅はどのような経緯で小樽の中心街となったのか ~明治・大正編~』や『かつて小樽駅だった南小樽駅周辺の歴史 ~明治編~』で紹介したように、明治14年の大火まで、明治期の小樽の中心地は南小樽駅周辺であったのですが、更にそれよりもっと以前、江戸期にはオタルナイ場所があり、その中心地としてヲタルナイ運上家と呼ばれるアイヌとの交易拠点およびニシンの漁獲拠点がありました。

オタルナイ運上家跡

この、オタルナイ運上家跡は札幌周辺の出身者にはお馴染みでもある小樽の観光地、小樽オルゴール館堺町郵便局の間に立っています。

小樽オルゴール館

現在の住所で言いますと、小樽町堺町・・・オルゴール館、北一ガラスなどが密集する小樽の観光地の五差路で、南小樽駅付近のエリアです。

オタルナイ運上家の成立は前掲の画像の通り、18世紀前半と考えられていますが、それ以前の”オタル”は更に南東側にあったのです。

 

結論から言うと現在の札幌市・小樽市の境界付近・・・新川の河口付近がオタ・オル・ナイの集落であったと言われています。
一番最初に示した写真中央に移っている半月湖はオタナイ沼、かつて小樽市と石狩市の境界であった新川河口のすぐ脇の石狩市樽川地区に所在しますが、この周辺にアイヌや和人の集落があったと言われています。
郷土史によると江戸幕府が成立前の16世紀以前から和人の入植があったとの事です。まー、北海道は本州を含む日本全土だけでなく樺太や大陸とも縄文時代から黒曜石やら翡翠やらを交易していた訳で、神話の頃から北海道が蝦夷地として登場している訳ですから、驚くには値しないのかもしれません。

以前『周囲を一変させ美しい観光地とした朝里ダムの築造とその後』において、朝里ダムのダム湖がオタルナイ湖と名付けられたことについて、苦言を呈しましたが、小樽湖というのであればまだ良いのですが、市民募集によって安易にアイヌ語のような地名を付けてしまうことで物事の正しい理解から遠ざかってしまうものです。

 

平成になって後付けされたオタルナイ湖と異なり、本来の小樽の由来となったオタナイ沼は戦前までは旧・小樽内川の流路の一部でした。
で、更にややこしいのは旧・小樽内川とは別に『現在の小樽内川』という河川が札幌市南区定山渓内を流れていて、これは江戸期から記録されている名称で単純な重複なのですが、もう少しどうにかならないものか・・・と思えてなりません。
例えば札幌市厚別区の名前の由来となった『厚別(アシリベツ)川』は札幌市南区を水源として清田区、厚別区、白石区、江別市を経由して石狩川と合流し、厚別区以外に『アシリベツの滝』などアツベツ、アシリベツという地名を札幌市内各所に残しています。
これは古来からの地名(河川名)が現代の地名に与える影響やそれぞれの関連性、そして当時の状況を思い起こさせる情報ですが、オタルナイ湖のように、歴史的背景を勘案せずに”それっぽい”命名をしてしまうと、物事の理解に大きな齟齬を生じさせてしまうと考えています。

 

まー、このようにして持ち上げたアシリベツ川も、漢字表記からの転訛で河川法上ではアツベツ川とされていますし、アツベツ区が行政区画である事から、アシリベツ川と呼ぶ人は非常に少ないですし、こちらも日高地方に同名の川があったりするので、事情はさして変わらないのかもしれませんが、そこに後付けで余計な地名を付け加えて混乱を生じさせることはないでしょう。

 

今回考えてゆくべき旧・小樽内川については、Wikipedia等の一部で『現在の星置川の一部』と紹介されることもありますが、元の星置川は現在の星観緑地付近で現在の清川から新川の河口付近で流れ込み、そこから現在の新川の河口とは別の河口で日本海に流れ込む、という流路を取っています。
・・・って、文字だけでは何がなにやら分かりませんよね。
という訳で、このシリーズ記事では地図と写真を利用して、『小樽』の地名の由来となった『旧・小樽内川』=ヲタルナイ川の流路について紹介をしてゆきましょう。
なお、前述した通り、江戸中期には既にオタルナイ運上家が現在の南小樽に設置されており、その時点で『オタル』の位置がずれてしまっている事や、江戸期以前の北海道についての記録が少ない事、そして何より、河川の流路は時間の経過によって常に変化している事から、今回示す旧・小樽内川の流路については、確たるものではないのは当然ですがイエステーション:北章宅建株式会社としての見解ではなく、筆者の個人的な考察に基づくものであることをご了承下さい。

 

それでは手始めに北海道の河川の歴史を語る上でのバイブル松浦武四郎氏の『東西蝦夷山川地理取調図』を引用しましょう。元データは国立国会図書館デジタルコレクションに掲載されており、著作権保護期間を満了していますので、誰でもダウンロードが可能です。

『ヲタルナイ』の記載があるのが旧・小樽内川で現在の新川の河口やオタナイ沼の付近です。
河口付近で東側に分岐している『コツウンナイ』に現在で一番近い位置にある水路は現在は河川としては管理されておらず、北海道によって下水道として管理されています。北海道に問い合わせましたが現在の管理名称は不明との事でした。
その少し上流で南側に分岐している河川には名前は記されていませんが、位置関係から、現在の『濁川』(にごりがわ)なのではないかと推察しています。
次の西側への分岐には『マサラマゝ』と記載されており、これは位置的に現在のキライチ川と思われます。インターネットで検索すると『マサラミ』と読んでいる方も見当たりましたが、文字のサイズ的に『ミ』ではないと判断しました。また、明治25年発行の大日本帝国陸地測量部万分の一地形図『札幌』には『マサラマ』と記載されており、当時の公式名称は『マサラマ』のようですが、画像を見る限り『ゝ』は書き損じとは思えません。既に使われなくなってしまった地名ですから、真相は藪の中ですが、松浦武四郎氏の記載としては『マサラママ』と呼んでいたのではないかな、と考えます。

キライチ川

さて、そこから更に上流にゆきますと『ホシホキ』という記載がされています。

星置川

看板の記載を文字起こししましょう。
-星置の滝の辺をアイヌ語でソーポク(滝の・下)と呼び、一名ホシキと云う。-
この『ホシホキ』が現在の星置川と、周辺の地名である星置の由来となった訳ですね。河川看板の記載は半濁点のついて『ホシポキ』ですが、この程度の表記ブレはよくあることです。
また、『星置の滝の辺』というとどうも読みづらいのですが、『辺り』でしょうか、古い看板だからか、文体に癖がありますね。

 

・・・と、このように松浦武四郎氏は『ヲタルナイ川』については『コツウンナイ』『マサラマゝ』『ホシホキ』という3つの支流を記録しており、これをどう根拠にしたのか、一部資料ではヲタルナイ川は星置川の下流部分だけを指し、上流部分はホシホキ(星置川)であるという風に紹介されていますが、筆者はそのように考えていません。
何故なら、『ホシホキ』と記載されている部分は二股に分かれており、支流に名前を記載するフォーマットを考えれば、この二股のいずれかが『ヲタルナイ川』の本流であって、もう一方が『ホシホキ』≒星置川であると考えるのが自然であるからです。
この二股に分かれたうち、現在は西側が『星置川』、東側が『滝の沢川』とされていますが、『東西蝦夷山川地理取調図』では西側の星置川の方が細く・短くなっており、滝の沢川の方が太く・長くなっている事から、現在の滝の沢川をヲタルナイ川の本流と見做していたのではないか、と考えます。
さて、この解釈に基づいて現代の国土地理院標準地図に旧・小樽内川の流路を落とし込んでみましょう。

さて、スペースが尽きて参りましたので、旧・小樽内川の流路を具体的に示すのは次回に譲ることにしましょう。

 

今回のシリーズではこれまでのシリーズと打って変わって例外的に札幌市手稲区・小樽市・過去の石狩市域を横断的に紹介してゆく記事です。
当記事は⼩樽・石狩エリアを中心に新しい不動産スキームを構築するイエステーション:北章宅建株式会社のスポンサードコンテンツです。
⼩樽・石狩エリアの不動産に関するご相談はイエステーション⼩樽・石狩・手稲の各店舗への依頼をお薦めします。

細井 全

【参考文献】
◇松浦武四郎『東西蝦夷山川地理取調図』万延元年 ※原本の著者表記は松浦”竹”四郎
◇手稲保健センター『手稲区ウォーキングマップ』平成30年
◇石狩市教育委員会『石狩市21世紀に伝える写真集』平成14年
◇樽川地主会『樽川百年史』昭和52年
◇樽川発祥之地記念編集委員会『たるかわの歩み』昭和61年
◇手稲郷土史研究会『発足十周年記念史 掘り伝える』平成28年
◇小樽カントリークラブ『銭函五拾年』昭和54年
◇堀 耕『銭函の話』平成5年
◇小樽郡朝里村役場『札樽国道小樽銭函間改良工事写真帖』昭和9年
◇財団法人北海道開発協会『石狩湾新港史』平成3年
◇小樽港湾建設事務所『石狩湾新港建設のあゆみ 第1船入港まで』昭和62年
◇小樽港湾建設事務所『写真集 小樽築港100年のあゆみ』平成9年
◇小樽市役所『小樽市史 第1巻』(旧版)昭和18年
◇小樽市役所『小樽市史 第2巻』(旧版)昭和18年
◇小樽市役所『小樽市史 第3巻』(旧版)昭和19年
◇小樽市役所『小樽市史 第1巻』(新版)昭和33年
◇小樽市役所『小樽市史 第2巻』(新版)昭和36年
◇小樽市役所『小樽市史 第3巻』(新版)昭和56年
◇小樽市役所『小樽市史 第4巻』(新版)昭和56年
◇小樽市役所『小樽市史 第5巻』(新版)昭和56年
◇小樽市役所『小樽市史 第6巻』(新版)昭和56年
◇小樽市役所『小樽市史 第7巻 行政編(上)』(新版)平成5年
◇小樽市役所『小樽市史 第8巻 行政編(中)』(新版)平成6年
◇小樽市役所『小樽市史 第9巻 行政編(下)』(新版)平成7年
◇小樽市役所『小樽市史 第10巻 社会経済編』(新版)平成12年
◇小樽市役所『小樽市史 第10巻 文化編』(新版)平成12年
◇小樽市『未来のために=山田市政3期12年をふりかえって=』平成24年
◇有限会社北海道新聞中販売所『小樽・朝里紀行』平成30年
◇小樽観光大学校『おたる案内人 検定試験公式ガイドブック』平成18年
◇佐藤圭樹『小樽散歩案内』平成23年
◇大日本帝国陸地測量部二十万分の一地形図『札幌』明治25年
◇大日本帝国陸地測量部五万分の一地形図『銭函』明治29年測量、明治42年部分修正
◇大日本帝国陸地測量部五万分の一地形図『小樽』明治29年測量、明治42年部分修正
◇大日本帝国陸地測量部二万五千分の一地形図『銭函』大正7年
◇大日本帝国参謀本部五万分の一地形図『札幌』昭和10年
◇内務省地理調査所二万五千分の一地形図『銭函』昭和31年
◇国土地理院二万五千分の一地形図『銭函』昭和53年
◇国土地理院 航空写真各種
◇札幌市『札幌市河川網図』平成24年

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