2021.03.05郷土誌から読み解く地域歴史情報
戦前昭和におけるー朝里・新光ーの開発の歴史
さて、前回までは明治・大正期の朝里について紹介をしてゆきました。
時代が少し進んで昭和に元号が変わった後のことを紹介してゆきましょう。
まずご紹介するのは昭和3年の『町名番地改正小樽市全図』の一部として記載された『小樽市都市計画区域全図』です。
小樽区は大正11年に小樽市に改編されていますが、小樽区以外の小樽郡の村々が『小樽郡朝里村大字朝里村』という風に呼称されていたことが分かります。
『大字』というのは合併以前の町村を表すもので、現在でも郊外地で使われていますが、『朝里村大字熊碓村』であるとか『朝里村大字張碓村』というのは、正直ちょっと分かりづらいですね。
地域の歴史を紹介してゆくにあたって、昭和のうち戦前までに関しては、支那事変≒日中戦争、アジア太平洋戦争と未曽有の混乱が生じた為、行政・民間ともに記録が乏しい上に実際の都市開発がなされるという事も少なく、『明治・大正・戦前』という区切りを用いてしまうことも多々ありますが、朝里については戦前においてもかなり大きなニュースがあります。
前回紹介した明治38年開通の『軍事道路』=旧:国道4号線ですが、流石に不便だということで、昭和5年から現在の国道5号線に準じたルートでの再整備が実施されることとなったのです。
この事業は昭和5年に計画が発表され、昭和6年には熊碓から柾里にかけて施工されました。その後も各年に於いて工事が進められ、昭和9年には銭函までが開通します。
こちらは昭和9年発行の『札樽国道小樽銭函間改良工事写真帖』に掲載された写真のうち『朝里隧道西口切割工事 (其ノ一)』です。
『隧道』は『ずいどう』と』読み、『トンネル』を意味する日本語です。
つまり、朝里トンネルの西口の工事状況を記録した写真という訳です。
しかしながら、朝里トンネルというのは、現在E5A 札樽自動車道にあるトンネルであって、国道5号線に朝里トンネルというトンネルはありません。
それもそのはず、朝里トンネルは昭和7年に開削されたものの、昭和40年代には別ルートが設けられて埋め戻されてしまったトンネルなのです。
そして、その所在地は朝里から朝里川を渡った先の大字熊碓村側にあったのです。
旧:朝里トンネルの位置については記事の後半で戦後の地形図を示しますので、そこで改めてご説明しましょう。
朝里トンネル以外の部分は昭和6年には完成しており、当時の道路としては非常に良く整備されていることが分かります。
こちらも昭和6年の札樽国道竣工後の写真ですね。
手前側が朝里橋、両脇は『朝里山ノ上』、いわゆる『朝里』や国鉄函館本線の駅は左側に移っている崖の下ですね。
当時は幹線道路と言えど砂利舗装が一般的でしたが、写真を見る限りにおいてはアスファルト舗装が為されているように見えます。
国道沿いにも関わらず、まだまだ人家がまばらであることがよく分かるでしょう。
こちらは札樽国道から見て南側、『朝里山ノ上』のエリアを写した写真です。のちの道道1号線と思われる位置に送電鉄塔が並んでいます。
キャプションにはこのような記載があります。
『小樽市に隣接し、本道路開通により面目を一變せしむ、風景絶佳氣候温暖にして、健康に適するを以て下方の平原には最近土地整理組合を設け、理想的住宅を建設せしむつゝあり。』
という事なのですが、『土地整理組合』が(狭義の)朝里村にこの時期あったという資料は見当たっていません。
それどころか、昭和30年代には都市計画がないことで市街化が進まない事や、土地区画整理事業が必要であることが問題になっているという事ですから、このキャプションは現在の小樽市桜であるところの大字熊碓村と混同したのではないか、という気がしてなりません。
まぁ、朝里村大字熊碓村なのですから、間違いとも言い切れませんが・・・
よくよく考えると『小樽市に隣接し』というのも、合併後の朝里村には当てはまりますが、大字の単位で考えると隣接しているのは大字熊碓村で、大字朝里村は直接隣接している訳ではありません。
そうすると、写真の撮影場所は現在の朝里ではなく、熊碓…現在の桜/桜町だったのかもしれませんね。
前述の通り昭和9年には熊碓村~銭函村の間の札樽国道の整備が概ね完了し、小樽と札幌を結ぶ幹線道路が完成し、朝里は小樽中心部との結びつきを強くしてゆきます。
最近は大正から昭和にかけて吉田初三郎氏に描かれた鳥観図に注目が集まっていますが、今回は昭和11年当時の鳥観図のうち、朝里周辺をピックアップして紹介させて下さい。
かなり省略された地図ではありますが、朝里川が太く描かれ、その上流には朝里水源地や屏風岳、更に奥に定山渓温泉が描かれています。山間部には軍事道路が、沿岸部には札樽国道と国鉄函館本線が描かれています。
注目して頂きたい点としては、画像右側の熊碓と比較して、朝里の宅地化はほとんど進んでいないという点と、旧:朝里トンネルが描かれていない点でしょうか。
観光を目的として位置関係を分かりやすく示すためにビジュアルを優先した鳥瞰図ですから、目くじらを立てても仕方がありませんが、逆に朝里が三方向への交通の結節点であったということもよくわかる図表であると言えるでしょう。
このようにして小樽とのアクセスが向上した結果なのか、昭和10年、小樽市は朝里村との合併の為の委員を選出し、昭和15年4月には北海道庁に合併を希望する旨を上申しますが、同年9月には早々に小樽市と朝里村の合併が実現します。
同年の4月にも高島町が小樽市と合併していることから、国や北海道庁の政策によってある程度出来レース的に市町村合併が行なわれていたのではないかと思われます。
さて、熊碓(桜)と比較してさほど宅地開発が進んでいなかった朝里に、小樽市との合併と並ぶもう一つの転機が訪れます。
合併の前年である昭和14年、特殊鋼や産業用機械などを扱う軍需産業である三栄精機製作所が朝里の土地3万6000坪を取得して工場や事務所、社宅などからなる建物群を建設したのです。
この写真は小樽市史の第4巻に掲載されたものですが、その撮影時期については判然としません。
前掲の昭和6~9年頃の写真や昭和11年発行の鳥観図と比較するとずいぶんと建物が増えており、これらは三栄精機製作所の工場や社宅などの建物群とみてほぼ間違いないでしょう。
キャプションが『朝里村』になっているのを信じるとすれば、昭和14年の三栄精機の落成を記念して撮影された航空写真なのかな、という気はしますが、キャプション自体が間違っていて小樽市に合併された後の写真である可能性もあります。
また、昭和18年には町名変更により従来『朝里山ノ上』または『山ノ上』と呼ばれていた地区のうち下流部が『新光』、上流部が『豊倉』という風に町名が改められます。(『豊倉』の一部には熊碓村/桜町の上流部も含まれていたようです。)
三栄精機製作所は軍需産業ですから、終戦の年、昭和20年7月には米軍から空襲を受けたこともあるようです。
そのような紆余曲折があって、通常は昭和のうち戦前だけで記事一つを作るということはないのですが、あっという間に紙面が尽きてしまいました。
最後に、戦後、内務省地理調査所が発行した地形図のうち昭和25年版『小樽東部』と昭和31年版『張碓』を合成したものを少しだけ見てゆきましょう。(最も近い年度でも6年の差がありました。)
『朝里』の周りには大正の地形図と同様に『柾里』『荒浜』『(朝里)山ノ上』の地名が記載されていますね。
戦時中の町名変更だったからなのか、『新光』に改められていませんが、こういった齟齬はよくある話であまり気にしても仕方がありません。
『荒浜』の南側には札樽国道の整備によって架けられた『朝里橋』があり、その西側にトンネルがあるのが見て取れるでしょうか。これが旧:朝里トンネルです。
やはり目に付くのは『国道4号線』とその南側に三栄精機製作所の建物群ですね。逆に言えば、それ以外の建物はそう増えていないことが伺えます。
朝里はここからどのように現在のような住宅地と観光地を兼ねるエリアとなってゆくのでしょうか、戦後以降の歴史は次回ご紹介してゆきます。
当記事は⼩樽・後志エリアでインターネットに掲載されていない物件情報や、地域ならではの不動産の売却・購⼊・賃貸・管理に関するノウハウを有するイエステーション:北章宅建株式会社のスポンサードコンテンツです。
⼩樽・後志エリアの不動産に関するご相談はイエステーションの各店舗への依頼をお薦めします。
細井 全
【参考文献】
◇有限会社北海道新聞中販売所『小樽・朝里紀行』平成30年
◇小樽港湾建設事務所『写真集 小樽築港100年のあゆみ』平成9年
◇小樽郡朝里村役場『札樽国道小樽銭函間改良工事写真帖』昭和9年
◇小樽市役所『小樽市史 第1巻』(旧版)昭和18年
◇小樽市役所『小樽市史 第2巻』(旧版)昭和18年
◇小樽市役所『小樽市史 第3巻』(旧版)昭和19年
◇小樽市役所『小樽市史 第1巻』(新版)昭和33年
◇小樽市役所『小樽市史 第2巻』(新版)昭和36年
◇小樽市役所『小樽市史 第3巻』(新版)昭和56年
◇小樽市役所『小樽市史 第4巻』(新版)昭和56年
◇小樽市役所『小樽市史 第5巻』(新版)昭和56年
◇小樽市役所『小樽市史 第6巻』(新版)昭和56年
◇小樽市役所『小樽市史 第7巻 行政編(上)』(新版)平成5年
◇小樽市役所『小樽市史 第8巻 行政編(中)』(新版)平成6年
◇小樽市役所『小樽市史 第9巻 行政編(下)』(新版)平成7年
◇小樽市役所『小樽市史 第10巻 社会経済編』(新版)平成12年
◇小樽市役所『小樽市史 第10巻 文化編』(新版)平成12年
◇小樽市『未来のために=山田市政3期12年をふりかえって=』平成24
年
◇小樽観光大学校『おたる案内人 検定試験公式ガイドブック』平成18年
◇佐藤圭樹『小樽散歩案内』平成23年
◇大日本帝国陸地測量部五万分の一地形図『小樽』明治29年測量、明治42年部分修正
◇大日本帝国陸地測量部五万分の一地形図『銭函』明治29年測量、明治42年部分修正
◇大日本帝国陸地測量部五万分の一地形図『小樽東部』大正7年
◇大日本帝国陸地測量部五万分の一地形図『石倉山』大正5年
◇内務省地理調査所二万五千分の一地形図『小樽東部』昭和25年
◇内務省地理調査所二万五千分の一地形図『張碓』昭和31年
◇国土地理院 航空写真各種
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