2020.12.15郷土誌から読み解く地域歴史情報
小樽の最西端『蘭島』の歴史 ~明治・大正編~
小樽といえば、海沿いの街で海のレジャーが盛んでありますが、街の中心部は埠頭によって埋め立てられて船舶の航行の為に水深が深い為、海水浴場は郊外に複数あります。
札幌市から最も近い銭函の『おたるドリームビーチ』も有名ですが、札幌から最も遠い小樽で最西端の地、蘭島には『北海道最初の海水浴場』があります。
今回は『蘭島』の歴史についてご紹介してゆきましょう。
小樽、といえば北海道有数の観光地であり、小樽運河、石造りの歴史的建造物、ガラス細工、海産物と見どころに枚挙いとまがない街ですが、その市域は主要な観光地よりずっと広く、実は日本海に沿って非常に細長い形状となっています。
現在の小樽市は明治から昭和にかけ、複数の町村が合併を繰り返して現在の市域を形成した経緯については、かつて『小樽市誕生の経緯① ~3つの郡と2つの地域の合併の歴史~』でご紹介した通りです。
今回ご紹介する蘭島は明治初期は蘭島村といって忍路郡に属し、余市郡と境界を接する村でありました。
蘭島の語源は忍路郡郷土史によると『ランシュマナイ』『ラゴシュマナイ』で『(川を)下り入る所』という意味だそうです。これは2つとも北海道を探検し、命名した松浦武四郎氏の資料による表記なのですが、この記載は北海道庁アイヌ政策推進局アイヌ政策課の資料によると『他に例がなく解しにくい。』とのことで、アイヌ語でもあまり一般的な語法ではないようです。
JRの蘭島駅が開業した際には、その命名の由来は『下り坂の後ろの川』を意味する『ラン・オシマク・ナイ』としたそうです。
地名の蘭島と駅名の蘭島でアイヌ語源が異なるという…う~ん、分かりづらいですね。
明治期の蘭島村-資料によっては蘭嶋とも記載しますが、本記事では蘭島で統一します。-は、他の後志地方の村落と同様に、明治以前からニシン漁が主産業の漁村でした。
明治2年に忍路郡が置かれ、塩谷村、忍路村、桃内村などと共に管轄されることになりますが、他の村落と比較して、そこまで栄えていたという記録は見当たりません。
ニシン漁で栄えたと伝えられる祝津村や高島村、塩谷村や忍路村などは岸壁が海岸に迫る水深が深い漁港ですが、一方で蘭島村は海水浴場になるほどの遠浅の砂浜の海ですから、そういった地形の違いから他の村落ほどはニシン漁に向かなかったという事情があったのかもしれません。
明治12年に制定された『郡区町村編成法』に基づき、翌明治13年には忍路郡塩谷村に塩谷戸長役場が置かれ、4つの村を管轄する事になります。
ここから明治末期にかけ、どのエリアにおいても行政の二転三転が起こりますが、それは忍路郡においても例外ではなく、むしろ他の自治体よりも多くの変遷があったと言えるかもしれません。
まず、明治15年には忍路村に戸長役場が置かれ、蘭島村と忍路村の2つの村がその管轄とされ、忍路郡の中でも蘭島・忍路/塩谷・桃内という、2村ずつの組み合わせが出来上がります。
しかし、3年後の明治18年には塩谷村戸長役場が忍路村・蘭島村戸長役場に合併する形で忍路村に置かれ、再び4つの村を管轄する事になります。
更に明治32年、塩谷村と桃内村がここから再び分離して塩谷村に戸長役場を置きましたが、明治36年には再び2つの戸長役場が合併し、今度は桃内村に移転します。
更にそれでは収まらず、明治39年には4つの村が塩谷村に統合されて塩谷村となった兼ね合いからか桃内村に移された戸長役場が再び塩谷村に移転します。…ここまで行くと行政のムダなどと呼べる生易しいものではなく、二転三転、右往左往の大騒ぎですね。
以前ご紹介した、行政区分の変遷と自治体の合併をまとめた図をお示ししますが、塩谷村はここから昭和33年に小樽市に合併されるまで、忍路郡塩谷村として存在することとなります。
忍路郡の4つの村のうち、蘭島村と忍路村は基本的にはペアで扱われることが多いようで、隣り合っていることや、忍路郡の中心である塩谷村とはかなり距離があることによることが原因であるようです。
明治20年に作成された忍路郡塩谷村鮏漁場実測図のうち、忍路郡蘭島村忍路村塩谷村鰊鮏漁場実測図を見てみましょう。
これは、忍路郡におけるニシン漁とサケ漁の漁場のナワバリを示した図面で、図面の中央でクワガタのアゴのように2つ張り出しているのが忍路村の忍路湾です。蘭島村はその左側なのですが、人名の記載が忍路村と比較するとぐっと減っており、大変密度が薄いことがわかります。
おそらくは蘭島村は200戸ほどの漁村ではあっとは言いますが、他の漁村ほど大きな規模ではなかったのではないかと考えています。
明治26年には蘭島尋常小学校が開校しており、小さいとはいえ、インフラは徐々に充実していっていたさなかであったと言えます。
このように、後志のニシン漁場の中では比較的地味な存在であった蘭島村が大きく変わるきっかけとなったのが明治33年設立の北海道鉄道による『函樽鉄道』の構想でした。
これは当時の大都市である函館と小樽とを鉄道で結ぶ構想で、渋沢栄一氏らの主導で函館側から急ピッチに整備が進み、明治35年には蘭島駅が開業し、更に翌明治36年には延伸して当時の小樽中央駅…現在の小樽駅まで直結する形となりました。
蘭島駅の設置にあたり尽力した人物として地元の水産加工業者、丸山三郎氏の名が挙げられます。
当初、この付近の停車駅は現在の忍路土場会館(小樽市忍路2丁目165番地)に建設される予定でしたが、地主との用地交渉がまとまらずにいたところ、丸山氏が現在の蘭島駅周辺の土地を用地として無償提供したのです。
小樽中央駅との接続が完了した明治35年7月、丸山氏は海水浴客の為の休憩所を設置し、これが北海道における海水浴場の発祥と言われています。
小樽市史によると『当時既に道南の海岸などで水泳を楽しむ人がいたが、海水浴場として積極的に名乗りを上げたのは蘭島が最初』とのことで、そこから海水浴場発祥の地とされているとのことです。
まだ札幌とは直通となっていませんが、それでも北海道鉄道と北海道炭礦鉄道を乗り継ぐ事でアクセスが良くなったこともあり、小樽だけでなく、札幌からも海水浴客が訪れるようになり、別荘地として分譲されることにもなったというのですから、丸山氏は非常に先見の明があった人物と言えるでしょう。
別荘地としては、北海道帝国大学の三代目総長である高岡熊雄氏、現在の小樽商科大学の前身である小樽高等商業高校の外国人教授であったダニエル・ブルック・マッキンノン氏、昭和13年~昭和20年の間、小樽市長を務めた河原直孝氏などが別荘を建築したとのことです。
その後、明治37年10月にはどういう事情か、蘭島駅が一時的に忍路駅に改称されますが、明治38年12月には蘭島駅に名称が戻っています。
この辺りは前述した忍路郡における4村の合併や戸長役場のゴタゴタとも関係がありそうですが、詳細な記述のある資料は見当たっていません。
また、明治40年には北海道鉄道と北海道炭礦鉄道が共に国有化したことにより札幌市と直通化し、ますます旅客の流動化が進んでゆきます。
大日本帝国陸地測量部発行の5万分の1地形図を見てゆきましょう。
明治期において、既に現在の国道5号線とJR函館本線が通っているほか、建物もそれなりの密度で立ち並んでいることが分かります。
砂浜に並んでいるのは海水浴客用の休憩所や茶屋、或いは旅館や別荘でしょうか。
この後、大正時代にかけて海水浴場はますます活況となり、海水浴客の為の専用列車も運行されたとのことですが、細かい資料については行き当たっていません。
小さな漁村から『北海道初』の海水浴場となった蘭島地区は、この後から現在に至るまで、どのような変化を遂げてゆくのでしょうか。次回以降紹介してゆく予定です。
当記事は⼩樽・後志エリアでインターネットに掲載されていない物件情報や、地域ならではの不動産の売却・購⼊・賃貸・管理に関するノウハウを有するイエステーション:北章宅建株式会社のスポンサードコンテンツです。
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細井 全
【参考文献】
◇塩谷村役場『忍路郡郷土史』昭和32年
◇新潮会『忍路郡郷土史』昭和30年
◇竹内荘七『忍路郡塩谷村鮏漁場実測図』明治29年
◇須磨正敏『ヲショロ場所をめぐる人々』平成元年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第1巻』(旧版)昭和18年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第2巻』(旧版)昭和18年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第3巻』(旧版)昭和19年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第1巻』(新版)昭和33年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第2巻』(新版)昭和36年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第3巻』(新版)昭和56年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第4巻』(新版)昭和56年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第5巻』(新版)昭和56年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第6巻』(新版)昭和56年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第7巻 ⾏政編(上)』(新版)平成5年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第8巻 ⾏政編(中)』(新版)平成6年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第9巻 ⾏政編(下)』(新版)平成7年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第10巻 社会経済編』(新版)平成12年
◇⼩樽市役所『⼩樽市史 第10巻 文化編』(新版)平成12年
◇⼩樽市『未来のために=⼭⽥市政3期12年をふりかえって=』平成24
年
◇大日本帝国陸地測量部五万分の一地形図『余市』明治29年測量、明治43年部分修正
◇内務省地理調査所二万五千分の一地形図『余市』昭和33年
◇国土地理院 航空写真各種
◇小樽観光大学校『おたる案内人 検定試験公式ガイドブック』平成18年
◇佐藤圭樹『小樽散歩案内』平成23年
◇小樽市『広報おたる「おたる坂まち散歩」第24話 観音坂(3)』
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