2021.10.12郷土誌から読み解く地域歴史情報
旧・小樽内川② ~小樽と札幌の境界『旧・小樽内川』の歴史~
北海道内でも歴史のある地名であるところの『小樽』は、明治以前の江戸中期、それよりずっと前から北上を続けており、元々の由来は現在の札幌市と小樽市の境界である新川河口付近にあった集落、オタルナイ≒ヲタナイ集落と、更にその由来となった河川、ヲタルナイ川=旧・小樽内川の流路について、現在の写真や過去の資料等を交えながらご紹介してゆきましょう。
この写真は旧・小樽内川が河川改修によって直線化された星置川の下流部分ですね。写真中央部やや上の緑色の橋の更に奥の灰色の橋の左右が旧・小樽内川の流路です。
前回ご紹介した画像ですが、各種資料の分析から筆者の考察と見解に基づいて作成した旧・小樽内川の流路を国土地理院の標準地図に落とし込んだものです。(イエステーション:北章宅建の公式見解ではありません。)
まず全体像として、タイトルでネタバレをしてしまっていますが、旧・小樽内川の流路は小樽市と札幌市の境界と概ね一致する事から、旧・小樽内川が自然境界として利用されていたことが分かります。
JRほしみ駅や星観緑地が星置川を越えて飛び地的に小樽側に出張っているのは、星置川が治水の為の河川改修で直線化されてしまったことが原因なのです。
では、上流・・・現在は滝の沢川と呼ばれている部分から順番に紹介してゆきましょう。
①乙女の滝
現在の星置川の支流とされている滝の沢川・・・筆者の考えるところの旧・小樽内川の上流に所在するのが乙女の滝です。
滝の沢川はこの上流でも3つくらいに分岐していますが概ねテイネオリンピアのある手稲山から流れ込んでくる流路をとっています。
札幌市手稲区が発行するウォーキングマップにも掲載されている滝で、公道からの直線距離は700m程度なのですが、実際に山道を歩いてみると、かなり長く感じますし、乙女の滝に至るまでの道は明瞭ではなく獣道のような場所もありますので、安易に行こうとするのはお薦めしません。
ただ、乙女の滝自体はビロードのような薄い水羽衣が美しい滝であることは間違いありません。
乙女の滝への案内看板は子の通りですが、そもそも、この写真の場所が手稲一帯へ飲用水を供給する『宮町浄水場』の付近です。宮町浄水場で浄水された水は手稲区の飲用水として利用されており、その水源である星置川は今回のシリーズ記事で紹介するいくつかの川を含め星置川水系を構成していますから、重要な河川であるという事ですね。
浄水場の付近には、駐車場がない上に、ヒグマに遭遇する危険性もありますので、くれぐれもご注意下さい。
ちなみに手稲区発行の『手稲区ウォーキングマップ』には星置駅から乙女の滝までを歩く『乙女の滝・星置の滝コース』というコースが設定されていますが、相応に体力のある成人でなければ、ウォーキングという気分では済まないと思います。
ヒグマに遭遇しなかったとしても児童や高齢者は登山・トレッキング用の装備で行くべきでしょう。
これは個人の感想ですが、前掲写真の看板には乙女の滝まで1.4kmと記載されてますが、実感には3kmくらいは歩いた感覚があります。
旧・小樽内川では砂金が獲れたという事から、明治26年に金鉱が発見され、紆余曲折あって昭和10年、三菱鉱業が買収し鉱山開発がされ、これが金山の地名の由来ともなりました。昭和45年に閉山しており、鉱山の遺構らしきものも見られるのは面白いのですが・・・
②星置の滝
旧・小樽内川の下流で乙女の滝から少し北上した位置で現在の滝の沢川と奥手稲山から流れて来た星置川が合流し、その少し下流には『星置の滝』があります。
この滝は二段になっている上に、その中間に丸い岩があって滝に打たれていて見栄えのする風景となっています。
こちらも駐車場はありませんが、公道から約150mと住宅街から少し歩くだけで現地を見る事が出来るので、乙女の滝と比較するとだいぶ気軽に見る事が出来る滝となっています。
③ほしみ駅
ほしみ駅は平成7年に函館本線に設置された無人駅です。
旧・小樽内川はほしみ駅の裏側・北側で西方向に屈折しており、新しく直線化された星置川との間に挟まれている形になります。
住所は星置1条9丁目、札幌の最西端・・・は、南区の中山峠ですが、星観緑地と共に手稲区の西の端という場所ですね。
④星観緑地
旧・小樽内川はほしみ駅の南側を迂回して札幌市都市公園である星観緑地の西の淵をなぞる様な流路を取っていました。
既に河川の切り替えによって水がなくなってしまっているので、この星観緑地の構内図では旧・小樽内川は記載されていません。
・・・と、言いましょうか、そもそもこの場所が緑地になったのが、旧・小樽内川の流域内の湿地・泥炭地だった事や、河川改修に伴う遊水地としての役割を担っているという側面もあるのです。
遊水地は大雨での増水や河川の決壊の恐れがあるときに水を逃がす為の土地として確保されているもので、上記の構内図右上の水色の部分も、雨水貯水池となっていますし、それ以外のパークゴルフ場についても、遊水地としての役割を担っています。
皆さんのお住まいの近くにあるパークゴルフ場や野球場、サッカーグラウンドももしかしたら遊水地としての役割を有したものかもしれません。
ここで旧・小樽内川の流路と現・星置川の流路が交差し、それまで水がなかった場所から少しずつ水が現れ始めます。この付近で星置川から北東方向に発する川を『清川(すみかわ)』と言います。
札幌市営地下鉄の駅名でもある「澄川」と紛らわしいのと、変換されないので、つい「きよかわ」と言ってしまいがちですが…
この写真の正面方向から奥に続くの獣道のようなものが、清川の流域です。
清川の始点は厳密には星置川と接続はしておらず、この草藪の中にあります。おそらく、星置川への切り替えによって、始点付近にはほとんど水がないのでしょう。中央に見える白い建物はポンプ場などの上水道関連施設かな?と思ったのですが、民間の工場で和弘食品株式会社の建物のようです。
和弘食品株式会社は昭和39年創業の小樽市銭函に本社を置く、業務用調味料を製造する上場企業との事で、こちらを南端とし、国道337号線を北端とする広い範囲に本社および工場を構えています。
…と、画像を多用したとはいえ、今回も随分と長くなってしまいました。
次回は『清川』の流路を紹介してゆく予定です。
今回のシリーズではこれまでのシリーズと打って変わって例外的に札幌市手稲区・小樽市・過去の石狩市域を横断的に紹介してゆく記事です。
当記事は⼩樽・石狩エリアを中心に新しい不動産スキームを構築するイエステーション:北章宅建株式会社のスポンサードコンテンツです。
⼩樽・石狩エリアの不動産に関するご相談はイエステーション⼩樽・石狩・手稲の各店舗への依頼をお薦めします。
細井 全
【参考文献】
◇松浦武四郎『東西蝦夷山川地理取調図』万延元年 ※原本の著者表記は松浦”竹”四郎
◇手稲保健センター『手稲区ウォーキングマップ』平成30年
◇財団法人北海道開発協会『石狩湾新港史』平成3年
◇小樽港湾建設事務所『写真集 小樽築港100年のあゆみ』平成9年
◇小樽郡朝里村役場『札樽国道小樽銭函間改良工事写真帖』昭和9年
◇堀 耕『銭函の話』平成5年
◇樽川地主会『樽川百年史』昭和52年
◇小樽港湾建設事務所『石狩湾新港建設のあゆみ 第1船入港まで』昭和62年
◇樽川発祥之地記念編集委員会『たるかわの歩み』昭和61年
◇小樽カントリークラブ『銭函五拾年』昭和54年
◇小樽市役所『小樽市史 第1巻』(旧版)昭和18年
◇小樽市役所『小樽市史 第2巻』(旧版)昭和18年
◇小樽市役所『小樽市史 第3巻』(旧版)昭和19年
◇小樽市役所『小樽市史 第1巻』(新版)昭和33年
◇小樽市役所『小樽市史 第2巻』(新版)昭和36年
◇小樽市役所『小樽市史 第3巻』(新版)昭和56年
◇小樽市役所『小樽市史 第4巻』(新版)昭和56年
◇小樽市役所『小樽市史 第5巻』(新版)昭和56年
◇小樽市役所『小樽市史 第6巻』(新版)昭和56年
◇小樽市役所『小樽市史 第7巻 行政編(上)』(新版)平成5年
◇小樽市役所『小樽市史 第8巻 行政編(中)』(新版)平成6年
◇小樽市役所『小樽市史 第9巻 行政編(下)』(新版)平成7年
◇小樽市役所『小樽市史 第10巻 社会経済編』(新版)平成12年
◇小樽市役所『小樽市史 第10巻 文化編』(新版)平成12年
◇小樽市『未来のために=山田市政3期12年をふりかえって=』平成24年
◇有限会社北海道新聞中販売所『小樽・朝里紀行』平成30年
◇小樽観光大学校『おたる案内人 検定試験公式ガイドブック』平成18年
◇佐藤圭樹『小樽散歩案内』平成23年
◇大日本帝国陸地測量部万分の一地形図『札幌』明治25年
◇大日本帝国陸地測量部五万分の一地形図『銭函』明治29年測量、明治42年部分修正
◇大日本帝国陸地測量部二万五千分の一地形図『銭函』大正5年
◇内務省地理調査所二万五千分の一地形図『銭函』昭和31年
◇国土地理院二万五千分の一地形図『銭函』昭和53年
◇国土地理院 航空写真各種
◇札幌市『札幌市河川網図』平成24年
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