2021.10.21郷土誌から読み解く地域歴史情報

旧・小樽内川③ ~読みづらく紛らわしい『清川』の歴史~

今シリーズでは旧・小樽内川について紹介をしていますが、『小樽内川』という名称、小樽という地名の由来になったという意味では大切にしなければならない名前ですが、正直、今現在イメージするところの小樽(旧・色内≒ヱロナイ)と距離が離れすぎていて、紛らわしいですよね。
現在の小樽中心部≒旧・色内≒ヱロナイが小樽の中心地となったのは明治中期以降ですが、初回にご説明した通り、江戸中期~明治初期の段階で小樽の中心は現在の南小樽≒勝納川流域にあった訳で、諸々の資料を読み返して精査するうちに、小樽内川という名称は北海道庁によって意識的に星置川へと書き換えられたのではないかとさえ思えます。
だって(狭義の)小樽にないのに小樽内川って紛らわしいんですもの。

小樽内川

小樽にないからヲタルナイ、なんて駄洒落を松浦武四郎氏が言ったかどうかはさておき、明治中期~後期に発行された20万分の1、5分の1のいずれの縮尺の地形図でも小樽内(オタ)川という記載があるものの、大正期以降に作成された2万5千分の1地形図からは小樽内川は新川から先・東側の河口部のごく一部とされ、新川から西側の部分については清川(スミカワ)という名前が付され、現在の星観緑地付近から南側の上流部分が星置川とされました。
ちなみにオタルナイ、オタナイ、オタネの表記ブレは転訛の範囲なのであまり気にしないで下さい。
清川という名称がいつ付いたのか、記録は見当たっていませんが、大正7年の地形図からはこの表記が使われ、いつの間にやら小樽内川という名称は使われなくなってしまいました。
まぁ、同じ小樽内川という河川が札幌市南区定山渓に流れていることは初回に説明しましたが、そちらはオタルナイ湖と違って、明治の頃から小樽内川という名称で呼ばれていた事が確認出来ていますので、今回紹介している小樽内川は、小樽の中心部にはないわ、他の河川と名称が重複しているわ、と二重に紛らわしい状況であったので、これは名称が書き換えられても仕方がないですよね。

 

それは仕方がない事なのですが、松浦武四郎氏が調査し、小樽の地名の由来となった旧・小樽内川について『東西蝦夷山川地理取調図』等の各種の資料から考察した流路図を毎度の通りお示しします。(イエステーション:北章宅建の公式見解ではありません。)

前回の記事で①~④の現在の滝の沢川から星置川となっている部分を紹介しましたので、今回はその続き、⑤から下流の清川の部分を紹介してゆきましょう。

 

清川と道道225号線・国道337号線の交点付近
さて星観緑地の北東方向へ進んだ旧・小樽内川は道道225号線国道337号線の重複区間と交差します・・・と、言いますが勿論当時はそんな立派な道はありませんでした。立派な道路が通ったのは戦後になってからの事です。

小樽カントリー倶楽部

交差点には小樽カントリー倶楽部の看板があり、その表示によると西側が旧コース、東側が新コースだそうです。
小樽カントリー倶楽部は昭和3年にその前身となる小樽ゴルフ倶楽部が設立され、そこから一世紀近い歴史を有するゴルフ場です。

ゴルフ場

設立直後、昭和4年の絵はがきをご紹介しましょう。
左下には各ホールのヤード数やパー数などが記載されていますから、絵はがきという名目ですがプレイ用の案内図という側面もあったのではないでしょうか。
下部に左方向が北である旨の方位が記載されていますが、これは真逆の方向の誤りと思われます。
色々と手書きのメモがあって趣深いですね。清川の河口には『この辺 鴨がとれた』であるとか、銭函の浜辺の速しでは『この辺 野うさぎがとれた』など、戦前は狩猟が日常生活とより近い距離であったことが伺えます。

 

左下には新川の河口部分が描かれており、そこに流れ込む横方向の川が清川です。
縦方向に2~3本水路が描かれていますが、この周辺には現在も農業用水路が多く、ここに描かれた用水路が現在のどの河川や用水に該当するのかは判然としません。
右上に描かれている少し太めの川・・・メモでは『小川』と書かれていますが、これはおそらく旧・小樽内川であり、河川付け替え前の星置川でしょう。

清川は小樽カントリークラブと公有地との境界ともなっており、南側には片道2車線の計4車線で道道・国道が通っています。

清川自体は、”川”と言いつつ、旧来の河川の流路を利用した周辺の生活排水・農業廃水を兼ねたコンクリート製のU字溝であって、非常に地味な存在であると言わざるを得ません。

 

手稲山口緑地・山口処理場
札幌カントリー倶楽部から少し下ると、山口処理場山口緑地が所在しています。

山口処理場と山口緑地

山口処理場と山口緑地

これらの施設は南側を濁川、北側を清川に囲まれています・・・と、いう事は元々が軟弱地盤の泥炭地で農業をするにも住宅地にするにも不適格な土地であったと言えます。
結果として、手稲山口のうちこの周辺は永らくゴミの埋立地となり、現在も山口処理場には家庭ごみや産業廃棄物などが搬入されているほか、山口緑地の南東側にある西部スラッジセンターでは下水処理汚泥の分離・焼却が行なわれています。
それどころか、山口緑地自体も昭和40年代後半から平成7年までゴミの埋立地であって、整備されて緑地として開放されたのは平成27年になってからと、ごく最近の事です。

山口緑地案内図

緑地内には明治16年に設置され、昭和53年に札幌市の札幌市指定史跡第1号となった手稲山口バッタ塚があるほか、パークゴルフ場や広場など、総面積が44万4280㎡ある広大な都市公園です。

手稲山口バッタ塚

手稲町山口バッタ塚

西エリアの一部では札幌市の公園としては例外的にスケートボードの利用が許可されており、クロスカントリースキー(歩くスキー)の夏の練習の為のローラースキーを利用している方も見かけます。

『スケートボート等使用禁止』と言いつつ、結構広い範囲で利用が許可されていると言えるのではないでしょうか。

色々と遊具も充実していますが、私が一番面白いと思うのは、ここから新川の河川敷に下りる事が出来、新川左岸小樽市銭函3丁目の清川河口、そして新川河口に下りてゆくことが出来ます。

 

清川河口
そして清川新川に合流します。

新川

冒頭に示した写真ですが、左側が新川、右側の白い建物が札幌市の下水処理施設、西部スラッジセンターですが、その奥から新川に注いでいるのが濁川、そしてそれより手前でもっと細い川筋で注いでいるのが清川です。

清川

清川の合流部分には水門がありますが、清川から流れ込む水の水量を調整しているというよりは、新川が増水した際に清川へ逆流しないように設けられているものなのではないかと思われます。

水門の反対側の清川の写真ですが、藪の中の2m程度の川幅で、鬱蒼とした湿地の中にゴミなども浮いており、『清川』という名前からイメージされるような清流ではありません。

流れを遡ってしまうと⑤と⑥の間の、小樽カントリー俱楽部と山口処理場の間の写真がこんな感じです。

水面に藻が浮いており、緑色の水となっています。
ちなみにもうちょっと上流で新川に合流をしている濁川は前掲の空撮写真でもそうですが、清川よりも川幅が広く、むしろ清川よりも澄んでいるのではないかという疑惑があります。

まー、昔は清川もそれなりに澄んでいて、濁川はかなり濁っていたのかもしれませんがカラー写真などの細かい資料が残っていない以上、現在と当時の状況のギャップについてあれこれと言う必要もないでしょう。

さて、今回のシリーズでは旧・小樽内川の流路について説明をして来ましたが、今回でようやく新川に合流しました。

この地点は現在、小樽市銭函の3丁目と4丁目、そして札幌市との境界となっていますが、昭和50年まで、銭函4丁目と5丁目は石狩町の一部であったものが小樽市に割譲されたものですから、かつて清川と新川の合流点は札幌・小樽・石狩の3市町の境界点だったのです。

『タモリ俱楽部』や『ブラタモリ』といった番組を通じて、一般層の地理、歴史の認知度を高めているタモリ氏は度々『ものごとはヘリ(境界付近)が面白い』と語っていますが、その例に漏れず、この3市町境界の歴史も非常に数奇なものとなっていますので、その辺りは次回以降紹介してゆきましょう。

 

今回のシリーズではこれまでのシリーズと打って変わって例外的に札幌市手稲区・小樽市・過去の石狩市域を横断的に紹介してゆく記事です。
当記事は⼩樽・石狩エリアを中心に新しい不動産スキームを構築するイエステーション:北章宅建株式会社のスポンサードコンテンツです。
⼩樽・石狩エリアの不動産に関するご相談はイエステーション⼩樽・石狩・手稲の各店舗への依頼をお薦めします。

細井 全

【参考文献】
◇松浦武四郎『東西蝦夷山川地理取調図』万延元年 ※原本の著者表記は松浦”竹”四郎
◇手稲保健センター『手稲区ウォーキングマップ』平成30年
◇石狩市教育委員会『石狩市21世紀に伝える写真集』平成14年
◇樽川地主会『樽川百年史』昭和52年
◇樽川発祥之地記念編集委員会『たるかわの歩み』昭和61年
◇手稲郷土史研究会『発足十周年記念史 掘り伝える』平成28年
◇小樽カントリークラブ『銭函五拾年』昭和54年
◇堀 耕『銭函の話』平成5年
◇小樽郡朝里村役場『札樽国道小樽銭函間改良工事写真帖』昭和9年
◇財団法人北海道開発協会『石狩湾新港史』平成3年
◇小樽港湾建設事務所『石狩湾新港建設のあゆみ 第1船入港まで』昭和62年
◇小樽港湾建設事務所『写真集 小樽築港100年のあゆみ』平成9年
◇小樽市役所『小樽市史 第1巻』(旧版)昭和18年
◇小樽市役所『小樽市史 第2巻』(旧版)昭和18年
◇小樽市役所『小樽市史 第3巻』(旧版)昭和19年
◇小樽市役所『小樽市史 第1巻』(新版)昭和33年
◇小樽市役所『小樽市史 第2巻』(新版)昭和36年
◇小樽市役所『小樽市史 第3巻』(新版)昭和56年
◇小樽市役所『小樽市史 第4巻』(新版)昭和56年
◇小樽市役所『小樽市史 第5巻』(新版)昭和56年
◇小樽市役所『小樽市史 第6巻』(新版)昭和56年
◇小樽市役所『小樽市史 第7巻 行政編(上)』(新版)平成5年
◇小樽市役所『小樽市史 第8巻 行政編(中)』(新版)平成6年
◇小樽市役所『小樽市史 第9巻 行政編(下)』(新版)平成7年
◇小樽市役所『小樽市史 第10巻 社会経済編』(新版)平成12年
◇小樽市役所『小樽市史 第10巻 文化編』(新版)平成12年
◇小樽市『未来のために=山田市政3期12年をふりかえって=』平成24年
◇有限会社北海道新聞中販売所『小樽・朝里紀行』平成30年
◇小樽観光大学校『おたる案内人 検定試験公式ガイドブック』平成18年
◇佐藤圭樹『小樽散歩案内』平成23年
◇大日本帝国陸地測量部二十万分の一地形図『札幌』明治25年
◇大日本帝国陸地測量部五万分の一地形図『銭函』明治29年測量、明治42年部分修正
◇大日本帝国陸地測量部五万分の一地形図『小樽』明治29年測量、明治42年部分修正
◇大日本帝国陸地測量部二万五千分の一地形図『銭函』大正7年
◇大日本帝国参謀本部五万分の一地形図『札幌』昭和10年
◇内務省地理調査所二万五千分の一地形図『銭函』昭和31年
◇国土地理院二万五千分の一地形図『銭函』昭和53年
◇国土地理院 航空写真各種
◇札幌市『札幌市河川網図』平成24年

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