2021.08.20地域歴史情報

美唄市の炭鉱と鉄道の歴史 ~石炭で栄えた美唄市~

美唄市は、北海道中部の空知地方の中央部に位置しています。
空知地方は国内最大の産炭地です。美唄市もかつては数多くの炭鉱が存在し、石炭の町として栄えていました。採掘された石炭を輸送する鉄道も古くから走っており、貴重な炭鉱遺産として保存されているものもあります。
今回の記事では、美唄市の発展を支えた炭鉱と鉄道の歴史についてご紹介します。

美唄炭鉱について

美唄炭鉱は、美唄市に存在した炭鉱群の総称を指します。中小炭鉱も多く存在していましたが、主に「三菱美唄炭鉱」「三井美唄炭鉱」「北菱産業埠頭美唄炭鉱」の3つに分けられます。

三菱美唄炭鉱

1913年に開鉱され、1915年に三菱が買収して三菱美唄炭鉱となりました。効率的に出炭するため三菱鉱業美唄鉄道線を開通させて生産量を伸ばし、1944年には戦前最高の189万トンの出炭を記録しました。その後1973年に閉山したことで、都市としても規模を誇っていた常盤台地区からは多くの住民が姿を消しました。

三井美唄炭鉱

1928年に開鉱され、美唄駅から石炭輸送のため専用鉄道(のちの函館本線南美唄支線)を開通し、生産を拡大していきました。従業員数や出炭量ともに三菱美唄炭鉱に次ぐ規模へと成長しましたが、石炭産業の集約化が進められたことで、早くも1963年に閉山となりました。
三井美唄炭鉱のある南美唄は、三菱美唄炭鉱のあった常盤台地区よりも市街地に近く、現在も多くの炭鉱住宅が残る貴重な地域となっています。
近年では石油や輸入石炭の価格高騰により国内産石炭の競争力が向上しているため、新たに露天堀りの鉱区を開発し、主に火力発電の燃料として販売する復活計画を立てています。

北菱産業埠頭美唄炭鉱

美唄市盤の沢地区にあり、現在も稼働している唯一の炭鉱です。かつては年3万トン程度に留まっていましたが、2007年の原油価格上昇により北海道電力や製紙会社向けの引き合いが増加したことで、年9万トンほどの生産量が見込まれています。

石炭輸送で活躍した鉄道路線

美唄市が石炭の町として栄え、最盛期には人口9万人以上となったのは、石炭輸送のための鉄道を開通したことによる生産量の増加でした。2大炭鉱である「三菱美唄炭鉱」「三井美唄炭鉱」は、それぞれが専用路線を活用することで石炭生産の効率化を進めていきました。

三菱鉱業美唄鉄道線

美唄駅から三菱美唄炭鉱の事業所があった常盤台駅を結ぶ鉄道路線です。炭鉱の隆盛により輸送量も増加していきましたが、1972年の閉山とともに廃線となりました。

南美唄支線

美唄駅から三井美唄炭鉱に引き込んだ鉄道路線で、美唄駅―南美唄駅を結ぶ函館本線の支線でした。石炭需要の高まりとともに周辺人口が増加したことから、1944年には旅客輸送も開始しました。しかし1963年の閉山とともに旅客扱いが停止し、1973年には廃線となりました。

炭鉱と鉄道の歴史を辿る旅

炭鉱のほとんどは保存されることなく、風化しながら周りの自然と調和するようにひっそりと佇んでいます。その中でもしっかりと整備・保存され、今でも歴史を感じることのできる炭鉱遺産と鉄道路線の跡地をご紹介します。

炭鉱メモリアル森林公園

三菱美唄炭鉱の跡地を整備した公園です。現在は竪坑巻揚櫓、電源を管理していた開閉所、石炭を貯蔵する原炭ポケットが残されており、見学することができます。

東明駅

三菱鉱業美唄鉄道線の鉄道駅として開設された駅です。鉄道路線の廃止に伴い廃駅となりましたが、駅舎が残されており、ホームには国鉄4110形蒸気機関車の同形機である2号機関車が保存展示されています。ここから先の線路跡はサイクリングロードとなっていて、美唄炭鉱跡付近に造られた我路ファミリー公園まで貸自転車で行くことができます。

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美唄店 前平 竜斗前職はまったく畑違いの仕事をしていましたが思い切ってこの業界に飛び込んで現在に至ります。住宅、不動産の売買はお客様の人生に深く関われる重要な仕事であり、責任と共に喜びも大きいなと感じています。 地域の不動産の購入・売却のご相談は是非北章宅建にお任せください。

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