2022.08.26郷土誌から読み解く地域歴史情報

明治・大正『樽川』エリアにあった3つの農場の不思議な関係

石狩市の現在の中心地と言えば、花川エリアです。
現に石狩市役所平成5年から花川北6条1丁目に所在しています。
そんな花川の地名のルーツは畔村が合併したことによる合成地名である花川村によりますが、2村が合併した後、そして更に石狩町に合併され、石狩市と名前を変えた後も、『花畔』と『樽川』という町名は現在も一部に残っています。

 

今回はそんな中で旧・樽川村のエリアのうち現在も樽川と呼ばれているエリアの歴史に着目して紹介をしてゆきましょう。
地名としての樽川の『川』の字は現在の石狩の主要エリアである『花川』に受け継がれていますが、『花川』とならなかった部分の『樽川』も現存しています。
さて、前回は市街化区域と市街化調整区域が入り混じる現代の樽川について紹介してゆきましたが、今回はいつものように明治時代から遡って歴史を追ってゆきましょう。
今回は各年代を比較しやすいように明治後期の地形図に現代の地名を重ね合わせて表示しています。

当時の樽川村は現在の町名『樽川』以外の『花川南』『新光西』『小樽市銭函』『札幌市手稲区前田』なども含んでいるより広いエリアであったことは前回も説明しましたが、概ね、新川と追分川、防風林、石狩湾に囲まれたエリアが樽川村の範囲であったと言えるでしょう。
地形図の中心には現在の『南線』道道44号線:石狩手稲線が中央を走っており、これは現在の樽川と花川南の境界線として機能しています。

 

ここからの解説は『石狩市の中心『花川』エリアが戦前『花畔』と『樽川』だった頃』と一部重複しますが、全文を書き下ろし、かつ新しい資料や新情報もありますのでご容赦下さい。
明治14年に札幌農学校を卒業した札幌農学校2期生町村金弥氏は、お雇い外国人、エドウィン・ダン氏からアメリカ式の大規模農業経営を学び、卒業の同年にはその後を継いで開拓使の一員として真駒内牧牛場(現在のエドウィン・ダン記念館や自衛隊真駒内駐屯地の一帯)の主任となったほか、その後も開拓使や北海道庁の職員として農業指導に従事します。明治23年に北海道庁を退職したのちも民間で農業指導や運営について、雨竜、十勝、釧路、福島、岩手など様々な場所で農業団体と関わりを持ったほか、北海道の各地に足跡を残しています。
令和3年の大河ドラマのモデルとなった500程の企業・団体に関与した渋沢栄一氏がそうであるように、当時は先進的な知識・ノウハウや資金力を持った人物に『神輿』のようになってもらって、団体を立ち上げるという事が盛んに行われていたようです。
明治30年町村金弥氏を中心とした農業団体が国有地であった樽川村のこの一帯の払い下げを受けました。
以前、花川の歴史を紹介した記事『石狩市の中心『花川』エリアが戦前『花畔』と『樽川』だった頃』では砂地で稲作にも畑作にも適さなかった土地を明治41年に札幌農学校11期生でかつて存在した北海道初のデパート『五番舘』の前身である札幌興農園の創業者である小川二郎氏が牧草栽培の為に借り受けた、と紹介しました。(石狩市史や樽川村史にはそのように記載されています。)
しかし、記事執筆後に調査を進めていたところ、現在の江別市いずみ野に所在する旧町村農場の展示では、札幌興農園への土地の貸付については触れられず、町村金弥氏の長男で札幌農学校を経てアメリカへ農業留学をしていた町村敬貴氏が大正6年に帰国し、この樽川の土地で酪農に取り組んだと紹介されています。

また、以前の記事では、石狩市史や樽川村史、社史などを根拠に敬貴氏が帰国したのと同年の大正6年に小川二郎氏が「極東練乳株式会社」へこの一帯を譲渡したと紹介しており、旧町村牧場の展示とは食い違いがあります。
どちらの記載が正しいのか、客観的根拠は見当たっていませんが、どちらも正しいとすれば、町村金弥氏は大正5年で酪農の現場からは引退して東京の大久保で町長を務めたという記述もありますので、金弥氏が土地の一部を小川二郎氏へ貸し付けており、その部分が極東練乳に買い取られ、貸し付けていたかいなかったかは不明であるものの、極東練乳に買い取られなかった部分が町村敬貴氏に引き継がれたという事かもしれません。

現在の樽川3条の辺りに『興農園樽川農場』という記載があります。
地形図発行の大正7年時点では興農園の敷地は極東練乳に買い取られているはずですが、極東練乳の名前が記載されるのは次の年代、戦後の地形図になります。
地図の情報が少し古いものになってしまうのは、致し方無いことなのですが、一方で、筆者が少し疑問に感じるのは町村農場という記載がない、という点にあります。勿論、樽川村の頃の記念写真なども残されている以上、江別への移転前は樽川にいたのでしょうが、対外的に『町村農場』という屋号での営農はしておらず、興農園の一部として運営していた可能性もあるかもしれません。

さて、町村敬貴氏極東練乳と同時期に樽川での酪農に挑んだ訳ですが、この土地は寒冷地ならではの泥炭地で水捌けが悪い為に雨が降ると一面が水浸しになるという状況では良質な牧草は生産出来ず、敬貴氏は10年程度奮闘したものの、ついにはこの土地での酪農を断念し、昭和2年江別町対雁に土地を購入して翌昭和3年のうちに移転を完了させました。
町村農場について不可解な点はもう一つあり、前掲の(146)町村農場(樽川)の写真は『石狩市21世紀に伝える写真集』からの引用ですが、注釈を見るに昭和4年の写真とされています。記録の上では移転後なのですが、移転後も畜舎や設備が地元の方に譲渡され、便宜上、町村農場と呼ばれていたのかもしれません。
江戸期や明治初期の話であれば兎も角、公文書や写真でしっかりと記録が残されるようになっていった大正以降の話でここまで曖昧な話というのは、珍しいと言っていいでしょう。

移転先の江別にしても水捌けの悪い痩せた土地だったのは同様だったそうですが、樽川と異なり泥炭地ではなかった為、町村敬貴氏はアメリカで学んだ農業技術による土壌改良を成功させ、平成4年まで現在の旧・町村農場の所在地:江別市いずみ野で営農していました。(移転後は江別市篠津で現在も営農しています。)

さて、町村農場の移転後も樽川に残った極東煉乳株式会社はその後も乳牛の育成やその為の牧草の生産を行なっており、それは昭和末期における花川エリアの宅地化まで続く事になります。

当時、このエリアで主流だった牧草は燕麦(エンバク)で、今流行のオートミールの原料、オーツです。
燕麦は明治になってから導入された日本では比較的歴史の浅い作物で、牛馬の飼料や人間の食用となる穀物として利用されますが、米や麦の育ちづらいこのエリアでは貴重な作物だったようです。
他に家畜の飼料としては飼料用のトウモロコシであるデントコーンがあり、札幌市東区の東雁来などではこちらが主流だったようです。
当時は明治、森永と並ぶ乳業事業者であった極東練乳ですが、世界恐慌のあおりを受けて昭和10年明治製菓の子会社化、昭和15年には明治乳業株式会社(現:株式会社明治)へと商号変更され、その後は明治乳業の事業所として直営の農場の運営に加え樽川の酪農家からも牛乳を集める『集乳所』なども設けられました。

さて、今回は樽川エリアにかつてあった町村農場、札幌興農園、極東農場について、かつての花川エリアの記事とは少し異なる切り口から紹介しました。『明治と大正』と言いつつ、少し昭和初期の話題も持ち出しましたが、次回以降、酪農地帯であった樽川が昭和に入って変化してゆく様子を紹介する予定です。

 

当記事は石狩エリアで不動産に売却・購⼊・賃貸・管理に関する幅広い業務を手掛けるイエステーション:北章宅建株式会社のスポンサードコンテンツです。
石狩エリアの不動産に関するご相談はイエステーション⼩樽・余市・手稲・⽯狩の各店舗への依頼をお薦めします。

細井 全

 

【参考文献】
◇石狩市教育委員会『石狩市21世紀に伝える写真集』平成14年
◇樽川地主会『樽川百年史』昭和52年
◇財団法人北海道開発協会『石狩湾新港史』平成3年
◇樽川発祥之地記念編集委員会『たるかわの歩み』昭和61年
◇小樽港湾建設事務所『石狩湾新港建設のあゆみ 第1船入港まで』昭和62年
◇小樽港湾建設事務所『写真集 小樽築港100年のあゆみ』平成9年
◇小樽観光大学校『おたる案内人 検定試験公式ガイドブック』平成18年
◇花川南連合町内会『流歴 花川南連合町内会』平成14年
◇石狩市花畔市街土地区画整理組合『石狩市花畔市街土地整理事業完成記念誌』平成12年
◇花畔開村百年記念行事協賛会『花畔の百年』出版年不詳
◇佐藤圭樹『小樽散歩案内』平成23年
◇明治製菓『明治製菓株式会社二十年史 : 創立二十周年記念』昭和11年
◇明治乳業『明治乳業50年史』昭和44年
◇石狩町『石狩町史 上巻』昭和47年
◇石狩町『石狩町史 中巻一』昭和60年
◇石狩町『石狩町史 中巻二』平成3年
◇石狩市『石狩町史 下巻』平成9年
◇石狩市『石狩市年表:石狩市史/資料編1』平成15年
◇石狩市『石狩ファイル』各号

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明治・大正『樽川』エリアにあった3つの農場の不思議な関係

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