2021.05.25地域歴史情報

小樽西部の中心地『塩谷』の歴史 ~大正から合併まで~

さて、前回は明治期の忍路郡の中心地であった『塩谷』の歴史について紹介しましたが、引き続き大正以降の歴史を追ってゆきましょう。

晴れた塩谷の海

大正元年北海瓦斯会社(現:北海道ガス株式会社)が、塩谷駅の裏(南側)に小樽工場を開設し、函館本線から工場への専用線を敷設しました。

北海道ガスの工場跡地

北海道ガスの塩谷工場

石炭は高温で乾留する事で硫黄などの成分が抜けコークスコークス炉ガスなどに分離され、コークスは蒸気機関や火力発電などに利用されコークス炉ガスは都市ガスの成分として利用されるとの事です。
北海道瓦斯会社は大正元年に小樽の他、札幌、函館の3都市でガスの供給を開始しています。前掲の画像のキャプションは『塩谷工場』となっていますが、正式名称はあくまでも『小樽工場』であって、塩谷は小樽におけるガス供給の拠点であったと言えるでしょう。

 

さて、ここで大正8年版の大日本帝国陸地測量部2万5千分の1地形図を見てみましょう。

大正8年の塩谷の地形図

明治の地形図でも触れた『鹽谷村』『しほや』『ポン前』『𩸽澗』『寅吉澤』『鶴掛』『丸山下』は前回から引き継がれています。
塩谷駅の南西側に『瓦斯會社』の記載があり、北海瓦斯会社の設立がされ、それなりの規模の工場であったことが地図からも見て取れます。
前回触れた『文庫歌』『鹽谷川』の脇に記載されているほか、『酒屋澤』『番屋澤』『清水澤』という地名が新たに記載されていますが、国土地理院地図やゼンリンの住宅地図を見る範囲では残念ながら現在には残っていない地名のようです。
逆に、残っているものとしては塩谷村役場の北西側にある『樺山』や国道沿いの『新吉原』で、新吉原は正式な町名とはなっていませんが、町内会の名称として残っているようです。

画像中央やや右下に記載の『新道』は現在の国道5号線、かつての軍事道路を指す別称と思われます。地図上の位置ではありませんが、現在もオタモイと塩谷2丁目の境界付近に『新道踏切』というバス停があります。
軍事道路の整備についてはかつて何度もご紹介しており、重複してしまいますので今回は説明を割愛しましょう。

 

さて、前回、『塩谷文庫歌』は塩谷海水浴場の最寄りバス停であると照会しましたが、その塩谷海水浴場はいつからあったのか、実は明確な記録はありません。
明治にはおそらくあったであろう、というぼんやりとした記載はあるのですが、確実に年代が特定されているのは大正8年のことで、その年から塩谷海水浴場が小学校教育会の水泳講習会の会場として使われるようになったようです。

塩谷小学校

大正11年には、塩谷尋常高等小学校が再度の増築移転をします。
おそらくは北海道瓦斯の工場労働者なども移住していたのでしょうから、人口はまだまだ増加傾向だったのでしょう。

塩谷高等尋常小学校は教育制度の変遷によって大正16年塩谷国民学校、戦後の昭和22年塩谷村立塩谷小学校と改称し、このうち高等科は塩谷中学校へ分離したものの、当初は小学校の教室で授業が行われ、教職員も共通といった状態でした。

敗戦直後で資材も人員も十分ではない中で、制度の上で中学校を独立させても実情は上手く機能させることは困難だったでしょう。
塩谷中学校昭和25年に独立校舎を建築、昭和27年には早速一回目の増築、翌昭和28年に体育館建築、更に昭和29年には再度の増築をしています。
ぃゃ、4年で2回も増築って計画性ってもんがないんでしょうか( ゚Д゚)、と言いたくなりますが、いわゆる外地からの引揚者などの想定外の人口増などもあって対応出来なかったり予算上の問題だったのかもしれません。
既に1つの村に統合されたとはいえ忍路郡の4村は立地や歴史的経緯から主に塩谷・桃内と蘭島・忍路のツーペアで運用されていましたが、塩谷中学校には、桃内小学校の校区の児童も通学することとなり、通学距離は非常に長くなってしまったそうです。

塩谷中学校

さて、話は変わって塩谷海水浴場ですが『忍路郡郷土史』によると敗戦前後の昭和18年から昭和25年の8年間は『海浜施設も皆無の状態』で『世人からまったく忘れられた実情』であったとのことで、まぁ戦前戦後のゴタゴタで海水浴をする余裕もなければ資材もないというのは仕方のないことですね。
この点は明治~大正~戦後にかけて休憩所・海水浴場・別荘地されてきた蘭島海水浴場との違いですね。

昭和26年には塩谷海水浴場組合が設立して、海浜設備の整備や集客などの為の活動が行われ始めたそうです。

塩谷海水浴場の様子

蘭島の回では『男性がふんどしではなく海水パンツを使っているからおそらく戦後だろう』と雑な推論をしていましたが、写真右手前の方におそらくはふんどし姿の男児が写っています。
まぁ、砂浜や海上に海の家などの海浜施設がありますので、昭和26年の組合設立後の写真であろうと思います。
写真に写っている『マルワ味噌』の看板については調べましたが、オークションサイトに出品されたホーロー看板が検索結果として出て来ただけで会社の詳細は分かりませんでした。

さて、ここで戦後昭和28年の内務省地理調査所2万5千分の1地形図を見てみましょう。

昭和28年の塩谷の地形図

大正期の地形図の記載と大きな相違はありませんが、塩谷駅の北側に『停車場下』という記載があるほか、軍事道路に『国道四号線』と記載されています。実際には昭和27年新道路法に基づいて現在と同様の国道5号線に改称されているのですが、地図の変更が間に合っていなかったようです。

 

さて、塩谷村にとって大変革が訪れます。
昭和28年、戦後の自治体整理の為に町村合併促進法が施行され、いわゆる昭和の大合併が始まります。
それによって、昭和31年小樽市合併期成同盟会小樽市塩谷村合併調査特別委員会が相次いで設置されます。
当初は赤井川村との合併も検討したそうですが、北海道の方針としては赤井川村は余市町と合併する方向性で進められていた為、小樽市と合併する方向となったそうです。
結果として、赤井川村と余市町は合併せず、また平成の大合併でも赤井川村は余市町や小樽市との合併が検討されたものの、現在も赤井川村は1000人強の人口で単独で存続しています。いずれ赤井川村の歴史を紹介する機会もあるかもしれません。

塩谷のぶどう園

昭和の時代から現代まで塩谷村ではブドウが名物となっているそうです。

 

さて、昭和の大合併では塩谷村は塩谷村民全体の希望として合併を希望していたと記録されています。以前ご紹介した蘭島川の整備の話でもそうなのですが、大抵の場合、こういう事には反対派が出てきて意見の分裂があるのですが、のちに塩谷村から小樽市に対して提出された合併条件に関する陳情書を見るに、ニシン漁の衰退が始まっていた塩谷村の苦しい台所事情と住民の苦難が伺い知れます。

【要望事項】

  • 塩谷村役場の職員の待遇の維持や庁舎などの塩谷村の行政の維持。
  • 上水道が水質検査の結果、飲料不適で過去に集団赤痢が発生した為、上水道設備の整備を希望する。
  • 氾濫を繰り返していた蘭島川の護岸工事の実施。
  • 沖合漁業の根拠地としての塩谷港の拡張工事の実施。
  • 忍路・蘭島の間の観音坂隧道の開削工事の実施。
  • 地下下水道の設置。

冬の塩谷の住宅街

実際にはこういった要望について小樽市がすべてを実施するという約束はない、無条件合併となりましたが、昭和32年には合併協議書に調印、昭和33年には塩谷村は小樽市へ合併されます。

合併された塩谷地区

さて、今回は小樽と余市を結ぶ小樽市西部、かつての忍路郡の中心地、塩谷エリアの大正時代から小樽市に合併されるまでについてご紹介しましたが、如何でしたでしょうか。

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細井 全

【参考文献】
◇塩谷村役場『忍路郡郷土史』昭和32年
◇竹内荘七『忍路郡塩谷村鮏漁場実測図』明治29年
◇須磨正敏『ヲショロ場所をめぐる人々』平成元年
◇小樽市役所『小樽市史 第1巻』(旧版)昭和18年
◇小樽市役所『小樽市史 第2巻』(旧版)昭和18年
◇小樽市役所『小樽市史 第3巻』(旧版)昭和19年
◇小樽市役所『小樽市史 第1巻』(新版)昭和33年
◇小樽市役所『小樽市史 第2巻』(新版)昭和36年
◇小樽市役所『小樽市史 第3巻』(新版)昭和56年
◇小樽市役所『小樽市史 第4巻』(新版)昭和56年
◇小樽市役所『小樽市史 第5巻』(新版)昭和56年
◇小樽市役所『小樽市史 第6巻』(新版)昭和56年
◇小樽市役所『小樽市史 第7巻 行政編(上)』(新版)平成5年
◇小樽市役所『小樽市史 第8巻 行政編(中)』(新版)平成6年
◇小樽市役所『小樽市史 第9巻 行政編(下)』(新版)平成7年
◇小樽市役所『小樽市史 第10巻 社会経済編』(新版)平成12年
◇小樽市役所『小樽市史 第10巻 文化編』(新版)平成12年
◇小樽市『未来のために=山田市政3期12年をふりかえって=』平成24年
◇大日本帝国陸地測量部五万分の一地形図『余市』明治29年測量、明治43年部分修正
◇内務省地理調査所二万五千分の一地形図『余市』昭和33年
◇国土地理院 航空写真各種
◇小樽観光大学校『おたる案内人 検定試験公式ガイドブック』平成18年
◇佐藤圭樹『小樽散歩案内』平成23年
◇永田方正『北海道蝦夷語地名解』明治24年
◇北海道ガス株式会社『北ガス小樽工場跡地の土壌調査結果と今後の対応策について』平成19年

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