2021.09.17地域歴史情報

地域の歴史を知ろう!札幌市手稲区にある手稲鉱山と手稲山口地区のご紹介!

今回は、北海道札幌市手稲区(ていねく)に走っているバスの路線、およびその地域の情報についてお伝えしていきます。
手稲区は札幌市の行政区であり、街の特徴は、区画整理の入ったいる駅周辺と、少し駅から離れた地域には山がそびえたっており、スキー場にも行きやすい場所となります。
こちらの記事では南北一つずつピックアップして、バス停の名前にもある手稲鉱山(南側)・手稲山口地区(北側)の情報をお届けしますね。

手稲鉱山の歴史

まずは、南側の手稲鉱山についてお話していきます。
この地域の星置川のあたりは明治時代に砂金が採れていたそうですが、本格的に金を掘り出すまでには至らなかったそうです。
何度か挑戦したもののいずれも不振に終わってしまい、時代が大正へと移り、後継者が出てきてもなお鉱山として本格的に始動させられないまま、ついに昭和に突入しました。
それからも紆余曲折あったものの、金の価格高騰も重なり、昭和9年にはおよそ3万4千トンもの金の鉱石を産出できるようになりました。
このあたりが転換期とされ、手稲鉱山が本格的にスタートした時期と言われています。
その後もどんどん順調に発展を遂げた手稲鉱山はやがて、最盛期を迎えます。
三菱鉱業が参入したのもあり、また色々と設備を増築させた甲斐もあってか、昭和15年~17年には185万4千トンの鉱物を掘り出すことに成功しています。
これは当時の東洋一の金山、鴻之舞(こうのまい)鉱山に次ぐ地位を築いたこと表しており、大発展を遂げました。
手稲鉱山が北海道の産業や経済を、ひいては日本全体の経済をも潤すことになったのです。
しかも手稲鉱山は、金だけでなく銀や銅も発掘されていたそうです。
オリンピックのメダルになった3色が同じ場所から一気に発掘されるというのはなんとも感慨深いものです。
最盛期の期間は長く続くことはなく、次第に発掘量が少なくなり、かつ国策変革も相まって鉱山はどんどん縮小していきます。
そして昭和46年、手稲鉱山は完全に閉山となり、およそ80年の歴史に幕を閉じました。

手稲山口地区って、どんなところ?

お次は手稲山口地区の名産品「大浜みやこ」について、お話ししていきます。
人の名前のような印象を受けますが、これは手稲山口地区で栽培されている、カボチャの名前になります。
札幌市の北西部にあるこの地域、実は北海道の中でも特に寒いとされている手稲区は、春先に日本海から吹く冷風のために昔から農業には不向きとされてきていました。
春先は新芽が芽吹く時期ですから、その時期に冷帯だとダメージは大きいのでしょう。
昭和の時代まで長年、耕されず放置されていた土地も珍しく無かったそうです。
ここで終わらせたくない思いの元、有志たちがまず手がけたのは、寒空の下でのスイカの栽培です。
当時の農業と言うと野菜に結びつくことも多く、スイカの栽培はとても思い切った計画だったとされています。
「山口スイカ(現在サッポロスイカ)」はやがて全国区に広まり、主力作物と呼ばれるまでに成長しましたが、スイカはとてもデリケートな作物で、天候によって味や質に左右されることもあり、なかなか思惑通りに進まなかったと言われています。
そこで、スイカから別の物へ移行する必要があり、スイカの栽培技術を活用して寒空でも育てられるものは何か?と行き着いたのが、みやこかぼちゃでした。
昭和56年、近くの海水浴場「大浜」にちなんだ名産品「大浜みやこ」の誕生でした。
ホクホクして甘さたっぷりの大浜みやこは、たちまち人々から愛されることとなります。
一日の中でも寒暖の差が激しく水はけの良い砂地である、手稲山口地区。農業には適さないと長年言われてきた土地の大変革だったのです。
北海道の野菜と言えば、ジャガイモやトウモロコシが全国でも有名ですが、今度訪れた際には是非、カボチャもご賞味下さいね。

如何でしたでしょうか?今回は、札幌市手稲区のバスが通っている二つの地域、手稲鉱山と手稲山口地区についてお話しました。

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